神社名 大石水神社
鎮座地 福岡県うきは市浮羽町高見1-1
由緒等 「大石水神社の由来」
 大石水神社は、大石水道の完成に際して首唱五庄屋が自然石を建てて、堰や水路の守り神としたものである。例祭日は、毎年旧暦三月十五日、大石水道開通から70年経過した元文年間に郡奉行の寄附等により祠と社殿を造り大石村弓立神社の境外末社として安達神職家が代々司ってきた。水難よけ、五穀豊饒の祈願所となって、明治二十三年(1890年)頃までは毎年お札を配っていた。
 明治二十三年(1900年)から例祭日を長野水神社と同様に旧暦四月八日とし、大石は午前8時、長野は同11時の祭典執行に改められた、このため、数名の神職が人力車を連ねて、両社を往復した。
 大正三年(1914年)長野水神社が郷社に昇格したのを機に、大石水神社の例祭日を九月十五日に改め今日に至っている。
 昭和二十八年(1953年)の水害による拝殿流出を機に境内を現在地に移した。その後、平成二十五年、大石水道開通350年祭の記念事業として社殿の瓦葺き替えと境内取付け道路の拡張を図った。
(案内板より)
祭神 罔象女神、旧無格社。
(参考:福岡県神社誌)
メモ 寛文四年(1664年)に栗林次兵衛、本松平右衛門、山下助左衛門、重富平左衛門、猪山作之丞の五人の庄屋の発案で、筑後川の水を使った大規模な灌漑事業を開始し、延宝二年(1674年)に大石堰が完成し、広大な水田を潤すことになりました。この難事業に命がけで取り組んだ五庄屋は長野水神社に神様として祀られています。
また、筑後地方には同じく灌漑事業の指導者を祀る神社として大刀洗町の大堰神社があります(床島堰建設に尽力した草野又六、高山六右衛門、秋山新左衛門、鹿毛甚右衛門、中垣清右衛門、丸林善左衛門を追加合祀しています)。
この神社自体は近くの弓立神社の境外末社として罔象女神を祀っていました。
撮影年 2020年
地図

神社入口

境内

鳥居

拝殿

本殿

社殿全景

大石堰と大石水道取水口

大石長野導水路

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