神社名 和間神社
鎮座地 大分県宇佐市松崎793
由緒等 和間神社御由緒
   八幡大神
祭神 比売大神
   神功皇后
この地は神武天皇御東征の寄港地でありまた神功皇后の三韓征伐の軍船をつくられたなど宇佐と共に古い神蹟である。
七一九年養老三年南九州の隼人の乱をしずめるため国司は宇佐神宮を奉じて軍をすゝめたが強く反抗したので策をかまえ人形が相撲をする舞を見せて亡した。この為に隼人の怨みがあらわれていろいろの病災があったので勅命でこの慰霊の祭を放生会と称して行われることゝなった。
現今全国各地で安芸に放生会をするが七四三年天平十六年に宇佐神宮が古代から由緒のある神域和間の地で勅大祭が行われたのがこの祭り、また和間神社のおこりである。
戦国時代頃までは神域は浮殿を中心として松崎・佐々礼・水崎におよぶ殺生禁断の地であり古表神社(築上郡吉富町)の神相撲(くぐつの舞)やいろいろの舞楽があり
法蓮・華厳、覚満、射能等の仏事もあった。
宇佐神宮をたゝれた八幡宮若の神幸は華美荘厳いろいろの神事を行ない放生会(たゞ今は仲秋祭)がこの神社で行われた。
然、神宮の盛衰と共に応永年間足利幕府
大内氏の寄進
元和年間細川忠興の力で再興され、また、昭和十三年から現制に復古したが往時を偲ぶ姿もなく境内も縮小したが
昭和三十九年六月十日に社殿神域を復旧造営した。
(案内板より)
メモ 宇佐神宮の放生会の舞台となる寄藻川河口に鎮座する重要な神社で、見事な浮殿が特徴的です。
地図

一の鳥居

境内

狛犬吽形

狛犬阿形

朱色が鮮やかな拝殿

浮殿

浮殿

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