神社名 | 老松神社 |
鎮座地 | 福岡県嘉穂郡桂川町土居601 |
由緒等 |
祭神 大物主神 事代主神 菅原神 吉祥女 由緒 当社はもと土師庄のうちであったが、一〇三九年(長暦三年)にわかれて土井庄となった。土井庄も太宰府天満宮の神領であったので、土師の老松大明神を勧請して、土井老松大明神と称して氏神とした。 一三三八年、(暦応元年)に大宰大監大蔵朝臣種貞が願主となり、原田次郎種実を奉行に任じて、社殿を再興した。下って、一五六二年(永禄五年)吉隈村の地頭門名左近鑑重が社殿を再築した。しかし一五八一(天正九年)十一月の頃、立花城主戸次道雪、岩屋城主高橋紹運の連合軍が秋月種実の兵と戦火を交えたおりに本社は兵火にかかり、社殿などことごとく烏有に帰してしまった。一六一六年(元和二年)に至って花房志摩守正城が村民とはかって社殿を再興した。 本社は古来、武家の尊信が厚く、境内も広く、社殿も壮麗で、四季の祭典も厳重に行われていたということである。 現在、本社の南方約百メートルの田の中に石が立っているが、昔神幸のあった時の頓宮の跡といわれている。 祭神事代主神は、無格社言効神社として祭られていたのを、明治四十四年八月二十四日、本社に合祀したものである。 境内神社の貴船神社は一七二四年(享保九年)頃には字浮殿に祭られていたが、明治二十四年に老松神社が建つと同時に移したものである。 神像は二〇糎位の木像が二体ある。 (案内板より) |
メモ | 旧嘉穂郡西部は昔、太宰府天満宮の神領であったため、老松神社や天満宮が非常に多く鎮座し、この神社もその一つです。その中でも近隣の一番古いと考えられている土師老松神社を勧請した神社です。 |
地図 |