神社名 戸田柿本神社
鎮座地 島根県益田市戸田町イ294
由緒等  戸田柿本神社の祭神は柿本人麿です。人麿は、天武・持統・文武天皇の治世(674~707)に活躍した「万葉集」の代表的歌人で、この地は、人麿生誕の地といわれています。
 戸田東光山(あさひ山)にあり、宝永7年(1710)津和野藩主亀井茲矩が創建、文化14年(1817)神社火災で神殿や神像を焼失、文政五年(1822)亀井茲尚が神社再建に併せ、津和野藩御用彫刻師大島松渓に命じ、ご神像と七体像をつくらせて寄進、奉納しました。
 境内上段には、本殿・通殿・拝殿があり、下段には、社務所・宝物庫・通夜殿があります。上段には「筆柿」といって、筆の穂のような小さな実のなる柿の木があり、当社の御神木となっています。
 「戸田柿本人麿神社明細帳」によると、「人麿、後年老いて故郷に帰り、高角鴨山に卒す。後、戸田村に社を建て、人麿を祀るに、そもそも人麿は語家というこの家にて共生す。語家方は本姓は綾部氏なるか。人麿に由縁ある筆柿の古木あり」と書かれています。
 「綾部氏家系」によると、大和に住んでいた綾部家は、柿本氏に仕えていましたが、後年柿本氏の支族が石見に下った時、これに従って下向し美濃郡小野に代々語家として住みつきました。のち柿本某が語家の女を寵愛して、柿本人麿が生まれたといわれています。
 また、「柿本人丸旧記」には、「我は父母もなし、知る所もなし。ただ和歌の道のみ知れり」と言って、柿の木の下に童形の姿で出現したという伝承もあります。
 人麿は、幼少の頃から詩歌や学芸に秀で、才徳兼備でした。その当時よく遊んだという小野谷の丘腹には、鎌の先で歌を彫ったという伝承岩や、近くには人麿の足跡とされる窪みがある大岩などがあります。
(案内板より)
メモ 同じ益田市には全国の柿本神社の総本社とされる高津柿本神社もありますが、この柿本神社は人麿生誕の地に建てられた神社です。
非常に自然豊かな地域に鎮座し、境内は静かで社殿も趣があります。
地図

参道入口の石灯籠

参道入口

鳥居

手水舎

参道

百度石

境内

狛犬吽形

狛犬阿形

拝殿

拝殿彫刻

本殿

本殿

宝物庫

力石?

参道入口付近の風景

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