神社名 | 高津柿本神社 |
鎮座地 | 島根県益田市高津町上市イ2616-1 |
由緒等 |
御案内記 一、御社名 柿本神社(人丸神社) 一、御祭神 柿本人麿命 一、御鎮座地 益田市高津町鴨山(一名高角山) 一、神社の由緒 柿本人麿朝臣は、孝昭天皇の皇子天足彦国押人命の後胤である小野族から分かれた柿本族の出である。柿本族の本拠は大和にあったが、その一部族が益田市戸田(小野郷)に移住、小野の地に於て人麿公は御生れになったと伝えられている。青年時代に都に上られ持統天皇、文武天皇の両朝に宮廷歌人として仕えられた。万葉集にある如く「鴨山の岩根し枕ける吾かも知らにと妹が待ちつつあらむ」の歌を残されて石見国の鴨山に逝去された。その鴨島は高津の沖にあったと今日まで語り伝えられて来ている。神亀元年、国司が勅命によって終焉地である鴨山に社殿を建立したのが起源である。万寿三年の大地震により鴨島が海中に陥没したと伝えられている。その時の大津波のため人麿公の尊像は松崎の地に漂着されたので、この地に社殿を再建された。以後延宝八年に至る六五四年間松崎の地に鎮座。延宝九年亀井藩主により現在の鴨山に再建された。 当社は全国にある柿本神社の本社として歴代皇室の御崇敬厚く中御門天皇の御代、享保八年は人麿公御鎮座より一千年祭にあたり、正一位柿本大明神の神階と神位を宣下された。更に宣命、位記、大政官符を下されるにあたり勅使参向の沙汰があるなど和歌の道に於て特に当社を尊ばれた御聖旨によるものである。一千年祭にあたり霊元上皇御宸筆の御製以下五十葉の短冊を御法楽として御奉納された。(後略) (案内板より) |
メモ |
旧縣社。 山陰地方に特に数多く鎮座する柿本神社の総本社とされています。歴代藩主、天皇から厚い崇敬を受けており、社殿、楼門も立派で見ごたえのある神社です。 万葉公園に隣接しており、市民の憩いの場ともなっています。 |
地図 |