神社名 | 梅園身代り天満宮 |
鎮座地 | 長崎県長崎市丸山町2-20 |
由緒等 |
身代り天神で有名な梅園身代り天満宮 祭神 菅原道真公(正殿) 宇賀御魂神(稲荷社) 創建 元禄十三年(一七〇〇) お社のいわれ ここの天満宮は元禄十三年(一七〇〇)丸山町乙名安田治右衛門によって創建され、以降丸山町の氏神様として親しまれています。 元禄六年(一六九三)安田治右衛門が二重門(現丸山交番附近)にて梅野五郎左衛門に襲われました。そして、自邸に担ぎ込まれたが不思議なことにどこにも傷が無く、身代りに庭の天神様が血を流して倒れていたそうです。その後、この天神様を身代り天神と呼ぶようになりました。 そのほか明和安永年間(一七七〇頃)より、この場所は長崎奉行の許しにより芝居や見世物、相撲等の興行が行われるようになり、また、花街に接しているところから遊女や芸者さんが多く参拝していました。さらに明治三十一年(一八九八)社殿大改修の際には文人墨客により天井絵を奉納されています。 また、第二次大戦時、丸山町の出征を命ぜられ者は必ず参拝したそうですが、身代りすべて無事に帰還したそうです。 (案内板より) |
メモ |
路面電車の「思案橋」駅から歩いて数分の場所に鎮座します。 歴史は浅く小さな神社ですが、熱心な信仰と地元の人々の愛情が神社のいたるところから溢れ出ている非常に素晴らしい神社です。 |
地図 |