神社名 | 山王神社(浦上皇大神宮) |
鎮座地 | 長崎県長崎市坂本2-5-6 |
由緒等 |
公式サイト 当神社は、島原の乱後、時の徳川幕府老中松平伊豆守信綱が此の地を通過せし際、近江の国琵琶湖湖岸の坂本に風景・地名共に酷似しているとて、かの地の山王日枝の山王権現を招祭してはとの進言により、長崎奉行・代官は寺町の真言宗延命寺の龍宣法印師に依頼し神社建立に着手した。当時は、神仏混合の習慣により延命寺の末寺として「白厳山観音院円福寺」と称して運営された。 以後、幾度かの盛衰がありたるも地域の氏子の方々に守られて明治維新を迎え神仏分離令により、元来の神社に戻り「山王日吉神社」と改称し浦上地方の郷社となる。 又明治元年、山里地区に皇太神宮が祭られたるも台風等の被害にて損壊し、再建や以後の運営も困難となり廃社を検討されるを知り氏子は山王社との合祭を願出て許可となり、明治十七年一月遷宮し以後「県社 浦上皇太神宮」と称したるも地域では「山王さん」として親しまれ、又「浦上くんち」として大いに賑わってきた。 不幸にも、昭和二十年の原爆の惨禍に直面し壊滅状態となりたるも数年を得ずして苦境の中から復興の声が上がり、昭和二十四年より祭典を復活し、以後社殿境内等も次第に復活された。 昭和六十三年(一九八八)神社創建より、三百五十年の記念すべき年に幣殿も再建して、ほぼ旧来の姿に近く再建し得た。原爆時の遺物としては、現在は世界的にも有名となった、参道の「石製片足鳥居」と境内入口にそびえる「楠の巨木」等が残り原爆の悲惨さと平和の有り難さ等を無言の内に語り掛けてくれる。又、楠木は戦後の数年で発芽、次第に繁茂し現在の雄姿となり地域の人々に戦後の復興の意欲と活力を与えてくれた。 祭神 正殿 天照皇太御神 豊受比売神 大山咋神 左座 大物主神 伊邪那岐神 伊耶那美神 高皇産巣神 神皇産霊神 天御中主神 大年神 右座 経津主神 健瓶槌神 御代御代皇御孫命 (案内板より) |
メモ |
旧縣社。 被爆した石製片足鳥居が有名です。 |
地図 |