神社名 | 志々伎神社 |
鎮座地 | 長崎県平戸市野子町251 |
由緒等 |
式内志々伎神社 主神 十城別命 相殿 七郎氏広 鴨一隼人 当社は平戸島南端 宮の浦鎮座の沖都宮並に辺都宮志々伎山(標高347m)の中腹に当る中都宮山頂に上都宮四社を併せて志々伎神社と称します。 御祭神十城別王は第十二代景行天皇の御孫にて日本武尊の第六王子で勇猛果敢な父の血を受けつぎ神功皇后の三韓出兵に参加凱旋された将軍です 当社のの創建年代は不祥ですが延喜式神明帳「927年撰進」頭注に「下松浦明神と号ス」と記されている「式内社」で志々伎神社の上に式内とするのは此のためです 県内(壱岐対馬を除く)唯一の式内社です 陽成天皇の元慶元年「877年」勅使参向の儀が執り行われたということより考えても当社に対する皇室の尊崇がいかに厚かったかが伺えます しかし遠国なるが故にその後は肥前国司が代参されました明治時代社格が「県社」に列せられています この様に県内はもとより全国でも有数の歴史を誇る古社であります (案内板より) |
メモ |
旧縣社、式内社。 車で行ける本土最西端の旧縣社で式内社です。平戸大橋を黒子島に渡ってから延々と国道383号線を南西に下っているとそのうち看板が見えます。 神社案内から駐車場までは一応舗装はされていますがかなり荒れた山道を数百メートル上らなければならず結構大変です。 |
地図 |