神社名 | 住吉神社(佐世保) |
鎮座地 | 長崎県佐世保市広田2-5-2 |
由緒等 |
住吉神社縁起 祭神 底筒男命 中筒男命 表筒男命 相殿座 嵯峨天皇 本神社の縁起は古く、「日本書紀」の時代にさかのぼり、社伝によれば、第十二代景行天皇(約1650年前)が日向の熊襲親征のため九州に行幸されたとき、西海の針尾島を通られ速来瀬戸の航海安全のため上原の地に住吉大神を配祀され降ってここ広田の地に遷座されました。その後平安時代初期の弘仁十四年(西紀823年)第五十二代嵯峨天皇自らの手になる木像を相殿に奉斎して本神社の基礎ができました。 古くから彼杵郡の宗廟とされ、大祭には郡内の浦々四十八ヵ村から御饌が奉納され領主の参拝がありました。 当速来地方が大村氏の支配から離れ、北方の平戸松浦氏の領地になると、この手厚い保護と崇敬を受けることになり、文禄九年(1592)初代藩主松浦法印鎮信公は、文禄の役出征にあたりその安全を祈願して陣太鼓ほかの武具を奉納しました。その後も第十代藩主観中煕公は扁額を、第十一代藩主諦乘曜公は絵馬を奉納するなど、江戸時代を通して藩の別段崇敬社としての社格をもちました。 この間、社名も住吉大明神から住吉宮に、さらに維新後の明治七年(1874)に住吉神社となり、同時に郷社に列されて現在にいたっています。 (後略) (案内板より) |
メモ |
旧郷社。 佐世保屈指の古社で、手水舎が見どころです。平戸藩が江戸時代に長崎勤番や領内検地のとき、本陣とともに宿泊所、休憩所といて使った早岐宿の脇本陣表門を移築して使用しています。 |
地図 |