神社名 | 皿山大神宮 |
鎮座地 | 長崎県東彼杵郡波佐見町皿山郷 |
由緒等 |
皿山郷は三百数十年以前稗木場郷より逐次移住し当時僅か二、三十戸の小部落を形成して居たのであらう 現在元禄年間の墓石が残って居る事から想像できる。元来住民は敬神の念厚くささやかな祠を建て素朴な生活の中に永く祭り続けて来たのである現在御殿の下に其の遺跡が残されて居る 今より約百三年前文久二年頃大神宮の建設に着手したが陶業の好不況に依り部落の経済に波があり工事の進行に苦悩の後が伺われる 然し部落民は幾多の困難を克服し約三十年間の歳月を要し遂に明治二十五年頃完成した 此の建設に当り石工筒井関平氏を佐賀県塩田町より招き造形彫刻等を依頼し 其の卓越した技術は全く名工の名にふさわしい作品ばかりである特に石造の御殿の如きは非凡なる名作で専門技術者をして驚歎せしめる 社前には幅二三米の細道があったが之が早岐路である 御殿境内社前の道端まで盆栽の如き老松の群が自然の配置よろしく一幅の絵の様であった。 旅人は足を止どめ関平の着想技術色彩の良さに暫時見とれ旅情に打たれたと伝え聞くのである 社会の進歩にともない交通頻繁と道路の狭小に依り 昭和四十一年五月県道改修に当り拝殿其の他の造形物は御殿の下にあったが原形をそこなわぬ様配慮し此の地に移築した総工費二百三十万円を要し九月末完成十月九日に部落民一同相集り盛大に落成式を取り行った 爾来祭り続けた大神宮を永久に祭ると共に名工関平の作品保存に勉められたい 我等部落民は限り無き部落の繁栄と子孫の幸福と平和を祈り乍ら大神宮の沿革を簡単に印し置くものである (案内板より) |
メモ |
室町中期の長享元年(1487)創祀の小さな神社ですが、境内右手奥にある筒井関平の手による石造神殿は波佐見町指定文化財になってます。また天満宮、宮地嶽神社の祠、拝殿前の狛犬も関平作です。 また、享保の飢饉(1732)に始まった皿山人形浄瑠璃は長崎県指定無形民俗文化財です。 |
地図 |