神社名 忌宮神社
鎮座地 山口県下関市長府宮の内町1-18
由緒等 公式サイト

 仲哀天皇 神功皇后 応神天皇を祭神とする式内社(平安初期の律令施行細則の延喜式神名帳に記載されている古社)
 この地は 仲哀天皇が熊襲討伐のため七年間にわたり仮の皇居とされた豊浦宮跡といわれ宮に附属して斎宮を建て神祇を祭られたのが忌宮の起こりと伝えられる
 また仲哀天皇がが崩御されその御遺体をここより南方の土肥山に仮埋葬(殯斂)神霊を鎮祭し豊浦宮と称した のち聖武天皇の神亀五年筑前国橿日宮から神功皇后の神霊を勧請して忌宮と称し さらに応神天皇を祀り豊明宮と称した三殿別立の古社であったが中世における火災で豊浦宮 豊明宮が焼失 忌宮に合祀し一殿となったという
 数度の兵乱や火災により社殿の焼失をみたが大内・毛利両氏の崇敬篤くその都度社殿の造営改築が行われた
 現在の社殿は明治十年六月に造営されたものを改修したものである
(案内板より)
メモ 旧国幣小社、長門国二ノ宮、式内社。
元々、「豊浦宮」と呼ばれた神功皇后ゆかりの古く格式高いお宮です。
地図

社頭

東側鳥居

東側境内入口

境内入口の狛犬吽形。下関周辺特有の造り。

境内入口の狛犬阿形。下関周辺特有の造り。

境内

石鬼(新羅の武将であった塵輪の首を埋めたとする場所)

石鬼(新羅の武将であった塵輪の首を埋めたとする場所)

手水舎

神門

神門前の狛犬吽形

神門前の狛犬阿形

拝殿

若宮社

高良社

拝殿内

社殿全景

拝殿前の御神木

神功皇后お手植えの「さか松」。逆さまに植えられたが活着し繁り栄えたといいます。

「宿祢の銀杏」。武内宿禰お手植えとされています。

八坂神社
明治末年の神社合祀推進に伴い、長府においても明治三十七年四月より明治四十四年二月にかけて神社合祀が進められ、忌宮神社境内社八坂神社にまとめられた。
本殿・拝殿は、野久留米にあった塩竈神社が移築されたものである。
七月十四日から十六日にかけて行われる「夏越祭」では、「茅の輪くぐり」が行われ、「人形」を供え大祓詞百巻が毎日奏上され、氏子・崇敬者各位の無病息災が祈念される。
又、一月・五月・九月の十八日には「秋葉講社祭」行われ、火難災除の祈願が込められている。
<合祀神社>
八坂神社 春日神社 日吉神社 三島神社 印内神社 大歳神社二社 恵比寿神社 人丸神社 貴船神社二社 塩竈神社 河内神社
※八坂神社には、秋葉神社等数社が明治末年を待たずに合祀されていた。

八坂神社境内

八坂神社に飼われている鶏

八坂神社二の鳥居

八坂神社拝殿

八坂神社の狛犬(1)吽形

八坂神社の狛犬(1)阿形

八坂神社の狛犬(2)吽形

八坂神社の狛犬(2)阿形

荒熊稲荷神社
文化・文政年間、長府藩十一代毛利元義公が江戸参勤交代の帰途、京都の伏見稲荷大社に詣でて御分霊を勧請し、産業の繁栄を祈願した。
嘉永元年(一八四八)に現在地に遷して社殿を再建、以来広く信仰をあつめ、特に勝ち運・失せもの発見に霊験あらたかとされている。
十一月三日の例大祭の奉納相撲は「長府の三日相撲」として世に知られ盛大に行われて来ているが、昭和四十九年大相撲の魁傑関が参拝して九州場所で優勝して以来、放駒部屋一行が毎年参拝して賑わいを見せている。
平成二年十一月、「御大典記念事業」として社殿を改築御造営。無病息災・家運隆昌・商売繁盛を祈念する崇敬者の参拝が絶えない。
御祭神 宇迦之御魂大神
配祀神 厳島社(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)

荒熊稲荷神社社頭の御狐様

荒熊稲荷神社社頭の御狐様

荒熊稲荷神社内御狐様

荒熊稲荷神社内御狐様

荒熊稲荷神社拝殿

荒熊稲荷神社拝殿内

荒熊稲荷神社社殿全景

相撲資料館

荒熊稲荷神社横、相撲資料館前の石像

荒熊稲荷神社横、相撲資料館前の石像(拡大)

三八稲荷神社

月見稲荷神社

豊市稲荷神社

飛地境内の満珠・干珠。豊功神社から見ることができます。

豊浦池跡

豊浦池跡の石碑

裏参道鳥居

松尾芭蕉歌碑
「海くれて 鴨のこゑ ほのかに白し」

TOPへ