神社名 | 万年神社 |
鎮座地 | 大分県玖珠郡玖珠町塚脇2130 |
由緒等 |
寺山の地名は、昔ここに天台宗のお寺があって名付けられました。寺の名前は残っていません。春国寺の古い記録には平安時代に作られたお寺で、最初の和尚さんの名前は豪英です。玖珠を治めていた矢野山城守も信仰し、清原正高公が玖珠郡を治めるようになると、一族の人達も信仰したと書かれています。万年神社は大治六年(1131)正月、豪清という和尚さんが久留米市高良神社の神様を夢に見て、祠を建てたのが始まりです。昔は万年神社と春国寺の神様と仏様とが協力しあって、塚脇地区を守っていました。これを神仏混交時代と言います。 天正十四年(1586)十一月、豊前、豊後(今の大分県)を治めていた大友氏と、薩摩(鹿児島県)の島津氏とが戦争をしました。島津氏は玖珠郡にも攻めてきて寺に火をつけこのため仏像や古い記録も万年神社までも焼けてしまいしばらくは寺も神社も建てられなかったとあります。性伝という和尚さんの時代でした。 寛永三年(1626)森忠左衛門さんと太田右衛門さんが、人々の協力を得て、寛永四年四月に万年神社の社殿を作り、松寿山春国寺も禅宗の寺として、京都花園のご本山妙心寺の許可を得て建築しました。最初の和尚さんを雷州恵眼と言います。現在の建物は、日隈与作さんや檀家の人々の協力で昭和四九年に完成しました。 神社は明治四年、神様と仏様を分ける法律ができ、春国寺から独立、万年村村社となりました。昭和三七年東参道の鳥居が完成し、お仮屋を移転しました、今この神社を信仰する家庭は二七六軒です。 (案内板より) |
メモ |
筑後国一宮の高良大社を勧請。大分県では珍しい、高良玉垂命を主祭神としてお祀りする神社です。 切株山を背に、国道210号線沿いに大鳥居が見えます。 |
地図 |