神社名 小山田斎宮
鎮座地 福岡県古賀市小山田346
由緒等 祭神は事代主大神、健布都大神、天照大御神、住吉大神、息長足姫尊。
當社縁起に曰く、斎宮は當社の濫觴なり、かかる奇霊なる神蹟なればとて云々。かの大后に神明憑談し大神等を祀りて足姫尊をも相殿に併せまつれる也云々とあり。又神功皇后武内宿禰中臣烏賊津臣の三神の容貌をうつしたる神面三つあり、同殿に斎き納めたり、此三神は斎宮神帰時の神たち也、當社にて重き神寶とす其趣は縁起に委し、移轉天正年中と云伝ふ。縁起又曰く、本社の西南小川を隔て丘あり、廣平五反餘字を聖母屋敷と云ふ是其地なり、古は社こゝにあり後神託に依りて今の所に移すといふ今も其跡に小祠あり云々。東の方に古宮山の口と云ふ所ありて祠あり、是も斎宮の古宮なるよし云傳ふ。按ずるに東の方の古宮は神帰の大神たちを祀り、西の方は聖母大神を祀りたるを後今の大裏山に両社の神併せ祀りたるものならん。當社古へ大社の時川原村天神社を旅所として神幸あり、川原村は小山田村の枝郷なるよし、明治五年十一月三日村社に定めらる。 社説に曰く、當宮縁起青柳種麿撰に曰く、筑前國裏粕屋郡小山田邑斎宮神社者、邑の上大裏山の下に座す。所祭の神は天照大神・健布都大神・事代主大神・住吉大神・気長足姫尊也。古老相傳云往古気長足姫尊香椎宮にましまし、斯地に斎宮を建て神託を請給へり、依て今猶斎宮と云ふ。本社の西南小川を隔て丘有廣平五反餘字を聖母屋敷といふ是其地也、此地を汚穢せしむる時は必崇厲有古は御社ここに在り、後神託によりて今の処に移すといふ、今も其地に小祠有云々。御神寶神面寶珠等七個及御検地帳等の古記寶物の貴重品多数あり、新嘗祭、氏子の新古直會式及七月三十一日夏越祭等祭儀厳そかに行はる。
(福岡県神社誌より)
メモ 糟屋郡久山町の斎宮とどちらが日本書紀で記述のある「小山田斎宮」なのか?との論争がありますがどちらもいい神社ということで。
地図

社頭

二の鳥居

参道

手水舎

拝殿

拝殿

拝殿前の狛犬吽形

拝殿前の狛犬阿形

本殿

本殿

境内社

境内社

境内社

猿田彦神社

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