神社名 功山寺
鎮座地 山口県下関市長府川端1-2-3
由緒等 公式サイト

 曹洞宗、嘉暦二年(一三二七)の創建、当初は臨済宗で金山長福寺と称し、足利氏、厚東氏、大内氏など武門の崇敬あつく隆盛を誇ったが、弘治三年(一五五七)大内義長がここに自刃、この戦乱によって一時堂宇の荒廃をみた。
 その後、慶長七年(一六〇二)長府藩祖毛利秀元が修営、旧観に復し、曹洞宗に転宗した。二代藩主光広が、秀元公の霊位をこの寺に安置して以来、長府毛利家の菩提寺となり、秀元の法号、智門寺殿功山玄誉大居士にちなんで功山寺と改称した。
 現在の仏殿は、元応二年(一三二〇)の建立で典型的な鎌倉期禅宗様式として国宝に指定、十代藩主匡芳の時、当地工匠の作による山門は市指定文化財となっている。
 その他境内には、県文化財の木造地蔵菩薩半跏像をはじめ、大内義長の墓と伝えられる宝篋印塔、五卿西下潜居の間、高杉晋作挙兵の処など数々の史跡や文化遺産が残されており、境内地(付、伝大内義長の墓)も記念物として市文化財に指定されている。
(案内板より)
メモ 城下町長府に 鎌倉時代建立の仏殿、大内義長の墓、韋駄天像など、見どころが非常に多い名刹です。
地図

境内入口

寺号標

室町時代作とされる総門

総門扁額

参道

木造地蔵菩薩半跏像が納められた地蔵堂

石仏など

山門

山門扁額

石仏

石仏

本堂

本堂

本堂内の韋駄天像(鎌倉末期から室町初期の作)

五卿西下潜居の間

鐘楼

輪蔵(寛政十一年(1799)に毛利元義公が建立)

国宝の仏殿

国宝の仏殿

豊永長吉の墓

三吉周亮の墓

大内義長の墓

御朱印

TOPへ