神社名 普天間宮
鎮座地 沖縄県宜野湾市普天間1-27-10
由緒等 詳しい由緒は案内板から重要部分を適宜抜粋、要約すると大要次の通りです。
「当宮は普天満権現とも呼ばれ、琉球八社の一つである。創建は往昔、普天満の洞窟に琉球古神道神を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王の頃(1450~1460年)熊野権現を合祀したと伝えられている。

現存する古い記録には『普天満権現』碑(1590年)がある。『琉球神道記』(1605年) 『琉球国由来記』(1713年)『琉球国旧記』(1731年)にも当宮関係が記載されている。

普天満宮は熊野信仰と習合し、県内広域に伝播した。普天満宮は熊野那智(飛瀧)に末吉宮を熊野新宮に、識名宮を熊野本宮に見立てて信仰されていたようである。近世沖縄における熊野三山いわゆる権現信仰は琉球八社の内の七社はもとより、その分社、あるいはビジュル・観音・霊石信仰とも習合しながら県内広域に伝播し、拝所としても数多く存在する。

当宮の縁起伝承には首里桃原に女神が出現され、後に普天満の洞窟に籠られた伝承。さらにその後、洞窟より仙人が現れ「我は熊野権現なり」と御神威弥高に示された。叉、中城間切安谷屋村の百姓夫婦や美里間切東恩納村の「当ノ屋(屋号)」に黄金(神徳)を授け苦難を救ったという伝承があり、「当ノ屋」 ではそのお礼参りが続いている。旧暦九月は普天満参詣と言って、かつては中山王はじめノロ、一般の人々が各地より参集し礼拝の誠を捧げた。

戦時中は御神体を避難させ、戦後は具志川村に仮宮を造り、その後元の本殿に還座した。昭和四十三年に本殿が竣工し、本土復帰に伴い宗教法人格を取得。平成十六年には老朽化により本殿などが再建された。」
メモ 琉球八社の一社で、宜野湾市で唯一の神社であり非常に立派な神社です。屋根瓦、漆喰や狛犬に沖縄っぽさを感じますが、社殿の規模はなかなか壮大で、裏の洞穴は圧巻です。 普天間基地のそばにあり那覇中心部からはだいぶ遠いですが那覇バスターミナルから頻繁にバスが出ており交通アクセスは悪くないです。

米軍基地の影響か、アメリカ文化と沖縄文化が総石造りの街並みで融合している非常に珍しい風致が楽むことができ、普天満宮参拝後、時間をかけて周囲を散歩するのも楽しいです。

基本的に沖縄の神社は熊野信仰が中心になっていますが、この普天満宮は熊野那智大社に見立てられていました。熊野信仰という神仏習合色の特に強い信仰に現地の土着信仰等が交わり独特の神社信仰が完成しました。

裏にある普天満宮洞穴は時間を限って公開されており、非常に神秘的な鍾乳洞の中の原始信仰を体感することができます。

また、最近この洞穴から3万1000年ほど前の火を使った跡である「炉」が発掘され、新石器時代の人類の暮らしぶりが一部明らかになるという驚きの発見がありました。

なお、普天満宮の縁起に出てくる女神が住んでいたという、遠く離れた那覇市首里桃原の住宅街の中には「普天間権現発祥之地」として鳥居と石祠があります。
撮影年 2024年
地図

神社入口

鳥居

参道

手水舎

社号標

狛犬阿形

狛犬吽形

拝殿

拝殿

拝殿

本殿

本殿

本殿裏の洞穴入口

普天間権現 樋川

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