神社名 | 吉備津彦神社 |
鎮座地 | 岡山県岡山市北区一宮1043 |
由緒等 |
公式サイト 御祭神 主神 大吉備津彦命 相神 吉備津彦命 孝霊天皇・孝元天皇・開化天皇・崇神天皇・彦刺肩別命・天足彦國押人命・大倭迹迹日百襲比賣命・大倭迹迹日稚屋比賣命・金山彦大神・大山咋大神 由緒 古代より当社背後の吉備の中山には巨大な磐座(神が鎮座する岩)・磐境(神域を示す巨石群)が有り、山全体が神の山として崇敬されてきた。 主祭神は大吉備津彦命。命は四道将軍の一人(西道将軍)として山陽道に遣わされ、「温羅」という鬼神を退治し、吉備国を平定・統治し、現人神として崇められた。御年二百八十一歳で薨去され、吉備の中山の南嶺に御陵(茶臼山古墳)を定め葬り奉っている。 仁明天皇承和十年(843)十月二十四日一品(いっぽん)爵位を贈送され、一品宮とも一品吉備津彦大明神とも呼ばれ、吉備国が備前・備中・備後・美作に別れると備前国一宮として崇敬された。 (中略) 中世には家族や庶民の信仰が厚かったが、日蓮宗への改宗を迫る金川城主の松田左近将監によって社殿がことごとく焼かれた。江戸時代に入ると岡山藩主池田氏は崇敬厚く、延宝五年(1677)に三百石の社領を寄進、元禄十年(1697)には綱政公によって社殿が再建された。昭和三年(1928)十一月十日国幣小社に列せられた。昭和五年(1930)、不慮の火災で御本殿、随神門を除いて焼失、現在の社殿は昭和十一年(1936)の再建である。 神宝類は多く、池田綱政奉納の井上眞改作の太刀一振りは”国指定重要文化財”である。”岡山県指定重要文化財”は御本殿・紙本淡彩神事絵巻(室町時代)など、”岡山市指定重要文化財”は随神門・中門・子安神社御本殿拝殿・安政の大石燈籠がある。 (案内板より) |
メモ |
旧国幣小社、備前国一宮。 本殿、子安神社社殿など渋い建築を見ることができます。狛犬も備前焼で社殿の構成もこの地方独特のものです。 受難の歴史が伺われる神社であり、個人的には哀愁を感じる渋い一宮だと思います。 すぐ近くに備中国一宮の吉備津神社が鎮座しています。 |
地図 |