神社名 | 若宮神社(鹿児島五社) |
鎮座地 | 鹿児島県鹿児島市池之上町7 |
由緒等 |
若宮神社由緒沿革 御祭神 誉田別命-応神天皇 息長足姫命-神功皇后 大鷦鷯天皇-仁徳天皇 相殿 天照皇大神、天津日高彦火瓊々杵尊、建速須佐之男命、大國主命 創建 延文二年(1356年)(北朝時代) 若宮神社は創立より明治初年迄若宮八幡宮と称せり 島津家初代忠久公が薩隅日三州の地頭職に補佐され 薩州出水郡野田郷木牟礼城に居を定め暦応四年(1338年)この地方や鹿児島郡一帯も安定され後村上天皇興國二年(1339年)四月に五代藩主貞久公が東福寺城を居城と定め延文二年(1356年)國分正八幡の三の神輿(応神天皇)(神功皇后)(仁徳天皇)を現在の地に御遷座建立され若宮八幡宮と号する その後永禄四年(1538年)十五代貴久公が家臣面高看泉坊英俊といふ山伏に命じ鎌倉鶴岡八幡宮の御神像をうつし刻ませ同六年にその御神霊を鹿児島清水の若宮八幡宮に合祀されたとある この後六日町にあった島津家守護神鶴岡八幡宮の御神霊も享保五年(1716年)当神社に合祀(本殿内陣板壁に明記)藩政時代は藩内社寺奉行所にて管理されていた 代々の領主は産土神社として崇敬厚く社殿改築神器神宝等御寄進多大なりし 又度々の御出陣祈願藩主御家督の報告祭等執り行われ祈願文その他今尚保存せし物もあるが殆んど戦火で消失せり 殊に鹿児島荒田村に神饌田として地高十五石を寄進され現在も此の地を「神田」と呼ばれている 尚鹿児島五社の一に列せられ現在に至っている 若宮神社は明治初年の廃藩置県後国家管理となり明治六年に郷社に列せられ明治四十年六月に共進指定神社に昇格するとある(後略) (境内案内板より一部抜粋) |
メモ | 旧郷社で鹿児島五社の一社です。もともと現在の鹿児島神宮から勧請した後、鶴岡八幡宮を勧請した神社です。本殿脇には「咳の神様」の祠があります。 |
撮影年 | 2022年 |
地図 |