神社名 | 精矛神社 |
鎮座地 | 鹿児島県姶良市加治木町日木山311 |
由緒等 |
この神社は、島津氏十七代義弘を祀っています。 義弘は天文四年(1535)、第十五代貴久の二男として吹上の伊作亀丸城で生まれ、幼少年期、伊集院の一宇治城で育ちました。将軍足利義昭から、「義珍(よしたか)」と名前を賜り、後に義弘と改めました。 天文二十三年(1554)、大隅合戦と呼ばれる蒲生・祁答院・入来院の連合軍との戦が始まりました。義弘はこの時、重富・岩剣城の戦いを初陣とし、以降六十六歳までに五十数回の戦を重ねた天下の名将でした。特に関ヶ原の戦いでの敵中突破「島津の退き口」はあまりにも有名です。 慶長十二年(1607)、今の加治木高校・柁城小学校一帯に屋形を造って移り住み、元和五年(1619)、八十五歳で薨去するまで十二年間加治木で仁政を施しました。 明治二年、終焉の地に神社を造営し、神号の精矛厳健雄命(クワシホコイヅタケヲノミコト)から精矛神社としました。その後大正七年(1918)十月一日、没後三百年に当たり、現在地にあらたに造営遷座しました。 義弘は道徳や学問の奨励・産業振興などを行い、今でも「太鼓踊りやくも合戦・加治木饅頭は義弘公に由来する」と言われるように広く敬愛され、毎年武道・郷土芸能などが奉納されています。 (案内板より) |
メモ |
旧縣社。「くわしほこじんじゃ」と読みます。 戦国時代の名将、島津義弘を祀る神社です。 |
地図 |