神社名 | 鹿児島神宮 |
鎮座地 | 鹿児島県霧島市隼人町内2496 |
由緒等 |
大隅一ノ宮 国分正八幡 鹿児島神宮由緒概要 一、御祭神 天津日高彦穂穂出見尊 豊玉比売命 相殿 仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、同皇后 一、由緒概要 創祀は皇孫神武天皇の御代なりと伝えらる。農耕畜産漁猟のみちを指導し民政安定の基礎を創り給うた。俗に大隅正八幡とも称し全国正八幡の本宮でもある。延喜の制(901年)には大社に列し大隅一ノ宮として朝野の崇敬篤く建久年間(1198年)には社領二千五百余町歩に及べり。明治四年国幣中社、同七年神宮号宣下官幣中社、同二十八年官幣大社に夫々列格す。昭和天皇陛下の行幸勅使皇族の御参拝は二十余度に及ぶ。現社殿は宝暦七年(1756年)島津重年公(二十四代)の造営なり。 (案内板より) |
メモ |
旧官幣大社、大隅国一宮。 大隅正八幡、国分正八幡とも呼ばれてきた大社で、全国に数多くある正八幡神社の総本宮でもあります。八幡大神を祀る前から彦穂穂出見尊と豊玉比売命を祀っており、平安中期に宇佐弥勒寺の支配下に入り、八幡大菩薩信仰のもと、九州五所別宮の一社として数えられていました。もともとは神武天皇、また隼人との関係も深い此の地ならではの土着の大社であったとされます。 隼人の反乱鎮圧の歴史に思いを馳せながら大鳥居をくぐり、長い参道を抜けると、境内は清浄な空気が保たれており、他の官幣大社に比べ地味ですが神秘的な香りのする神社です。 社殿の造りは勅使殿・拝殿・本殿というこの地方独特の造りで、参道両脇に門守神社や御門神社といった一組の境内社が置かれる神社も非常に多いです。典型的な大隅国の神社の造りと言えます。 |
地図 |