神社名 加久藤神社
鎮座地 宮崎県西諸県郡高原町後川内1553
由緒等 加久藤神社(旧郷社)

祭神
天照大神 邇邇杵尊 足仲彦命 武甕槌命 経津主命 天児屋根命 大山祇神 雷の神 高龗神 猿田彦神 尺長津彦神 天之太玉命

由緒沿革
 当社創建は「三国名勝図会」によると、天智天皇白鳳七年二月、大職冠藤原鎌足公の命により勧請し二之宮を加久藤に崇めた村内の総鎮守である。往古二之宮現王社と奉称し、天正四年(1576)鹿児島初代藩主島津家久が加久藤城に生れ、産土神として松齢公深く崇敬し茲眼公(家久)は二宮大明神と改め、慶長七年(1602)十二月二十一日神領三十石を寄進、同十四年社殿造営寛永十四年(1637)神領二十石加増された。例祭九月十日、松齢公当郷在城の時は祭日にはみずから参詣されたと伝えられている。
 明治元年七月二宮神社と改称、さらに明治三年加久藤神社と改称、明治五年郷社に列格、明治十年島津家久が建立した社殿が西南の役の兵乱のため焼失、明治十四年三月、本殿造営に着手七月二十七日ご遷座祭が執行された。昭和十年三月熊本市藤崎八旛宮の拝殿を買い受けて完成、神社の尊厳は一変し、現在に至る。
 家久が別当寺として建立した高連山福生院二之宮寺は大乗院の末寺の真言宗寺院で神社の北にあったが明治三年廃寺となった。
 また当社では、七月三十一日輪くぐり神事として夏越祭を行う。
(案内板より)
メモ 藤原鎌足公が建立を命じたとされる古社。社殿は藤崎八旛宮(熊本市)の社殿を買い受けたものという歴史ある建物です。現在はやや寂しい感じのする神社です。
地図

鳥居

境内

拝殿

本殿

本殿

社殿全景

菅原神社

TOPへ