神社名 田ノ上八幡神社
鎮座地 宮崎県日南市飫肥10-3-12
由緒等 御祭神
彦火火出見命 豊玉姫命 応神天皇 神功皇后 天児屋根命 経津主命 武甕槌神 萬幡比咩命 田心比咩命 天押雲命 蹈鞴五十鈴媛命 磐長比咩命 大山祇命 大己貴命 別雷命 天忍穂耳命

御由緒
「日向地誌」によると、彦火火出見命、豊玉姫、応神天皇を祀るとある。大隅国桑原郡に稲津弥五郎というものがおり、その地の一宮八幡(注:鹿児島神宮)の御神体を背負い来て、この地に祀ったという。社殿は天永元年(1110)庚寅十月二十五日創建すると伝える。島津氏が飫肥を領した時代にも大いに崇敬したが、伊東氏の飫肥初代藩主伊東祐兵(報恩公)が楠原八幡宮にあったのを現在地に遷座したともいわれる。(天正十六年、「日南市史」による)伊東氏が藩主となってからも、領内尊社四座の一つとして社禄五十四石八斗を寄付し、尊崇が篤かった。
明治四年、寄附禄も廃止されたが、同五年鳶が峰西麓の春日大明神、今町の北にあった広木田大明神、加茂東隅の加茂大明神、中島田東麓の糺大明神、願成就寺原の北の大将軍の五座を合祀し、板敷神社となった。
明治二十四年に再び田ノ上八幡神社と改称され、同四十年二月、神饌幣帛料を供進すべき神社に指定された。
明治五年までの例大祭には、流鏑馬二頭が祭りを盛り上げ、長人弥五郎の偶人形が町内を練り歩いた。
流鏑馬はいつかすたれたが、竹籠を編んだ一丈半以上の巨人の人形が衣袴を付け、長刀を帯び、右手に長槍をつかせ四輪車で子供たちがひく弥五郎の神賑行事は、いまなお続けられている。
「神社明細帳」によると、境内神社一社、末社門守神社、祭神豊石窓神櫛石窓神
境内の樟は、伊東祐兵が楠原字八幡原にあった八幡神社を天正十六年(1588)、現在地に移した記念に、祐兵自身が手植えしたと伝えられている。樹齢400年といわれ、日南市の天然記念物に指定されている。
(由緒書より)
メモ 飫肥城下町に鎮座する弥五郎どんゆかりの八幡神社。ここ鹿児島には土着信仰と八幡信仰の入り乱れた魅力的な神社が数社ありますが、この神社もその一つです。
周囲には飫肥城、小村寿太郎生家もあり非常に歴史を感じさせる地味ですがいい神社です。
境内の大楠も迫力があります。
地図

一の鳥居

社号標

参道

二の鳥居

参道

拝殿

本殿

社殿全景

境内社

境内社

大楠

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