神社名 五百祀神社
鎮座地 宮崎県日南市楠原1
由緒等  五百祀神社の前身となる旧報恩寺は、飫肥藩初代藩主伊東祐兵公(報恩公)のために建立された寺です。江戸時代には、飫肥三大寺の一つとして、寺禄百石の伊東家菩提寺でした。
 明治5年(1872)に廃仏毀釈によって廃寺となり、その跡地に五百祀神社が建てられました。本殿が完成したのは明治9年(1876)4月9日で、明治37年(1904)には幣殿及び渡殿を改築しています。
五百祀神社の「五百祀」とは、伊東祐持が西都の都於郡に城を構えてから、最期の藩主伊東祐相まで535年経ていたため、500年祀るという意味で、祐相が名付けたと言われています。

(案内板より)
メモ 旧郷社。
もともとお寺であったためか、仏教色の強い神社です。
地図

鳥居

参道橋

参道

境内

手水舎

拝殿

本殿

本殿

社殿全景

社殿全景

本殿裏の石造仁王像

本殿裏の石造仁王像

伊東家累代のお墓

境内社

巨樹

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