神社名 吾平津神社
鎮座地 宮崎県日南市材木町9-10-1
由緒等 御由緒
吾平津神社(乙姫神社)旧郷社

祭神
吾平津毘売命 天照皇大神 武甕槌神 倉稲魂命 天児屋根命 木花咲耶姫命 経津主命

由緒沿革
 当社は元明天皇の御代の和銅二年(709年)の創建にて、乙姫大明神と称して、江戸時代、飫肥十一社の一つとして歴代の藩主の崇敬篤く、明治維新に際し伊東裕帰知事の意により吾平津神社と改称され、昭和八年郷社となる
境内に御門神社二社があり櫛磐間戸命、豊磐間戸命の二柱の神をお祭りしてあります。
 その外に境内末社として、祖霊社、又豊漁及び商売繁昌の霊験あらたかな乙姫稲荷神社が鎮座されています。
 主祭神の「吾平津毘売命」は宮崎神宮の御祭神「神武天皇」が狭野尊と称され、また日向に在られた頃の妃えあり「古事記」によればお二人の間には「多藝志美々命」、「岐須美々命」二人の皇子ありとあり、又、「日本書紀」によれば「手研耳命」お一人の皇子ありとある。神武天皇が皇子や群臣と共に日向を立って大和朝廷をおこすために東遷された時、「吾平津毘売命」は同行されず、当地に残られ、この油津の地より御東遷の御成功と道中の安全をお祈りされました。
 この故事により、当神社は交通安全、航海安全、商売繁昌初祈願成就の神様として篤く信仰されています。
(案内板より)
メモ 旧郷社。
神武天皇の妻であった吾平津毘売をお祀りしている古社です。油津港の名前は吾平津毘売に由来しているということです。
社殿はかなり変わったコンクリート造りとなっています。
地図

社頭

社号標

社頭の狛犬吽形

社頭の狛犬阿形

社頭の吾平津毘売像

一の鳥居

参道

二の鳥居

参道上の御神木

三の鳥居

手水舎

参道

御門神社

御門神社

御門神社前の猿像

御門神社前の鶏像

変わった拝殿

変わった拝殿

本殿

乙姫稲荷神社鳥居

乙姫稲荷神社社

車祓所

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