神社名 鵜戸神宮
鎮座地 宮崎県日南市大字宮浦3232
由緒等 公式サイト

主祭神 日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊

 当神宮のご創建は、第十代崇神天皇の御代と伝えられ、その後第五十代桓武天皇の延暦元年には、天台宗の僧と伝える光喜坊快久が、勅命によって当山初代別当となり、神殿を再興し、同時に寺院を建立して、勅号を「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」と賜った。
 また宗派が真言宗に移ったこともあり、洞内本宮の外、本堂には六観音を安置し、一時は「西の高野」とうたわれ、両部神道の一大道場として、盛観を極めていた。
 そして明治維新とともに、権現号・寺院を廃して鵜戸神社となり、後に官幣大社鵜戸神宮にご昇格された。
 母君の豊玉姫が御子の育児のため、両乳房をご神窟にくっつけて行かれたと伝える「おちちいわ」は、いまもなお絶え間なく玉のような岩しみずを滴らせて、安産、育児を願う人々の信仰の拠り所となっている。又、霊石亀岩の背中に運玉を投げ見事にはいると願い事が叶うという伝えがある。
 このほか、念流、陰流の剣法発祥の地として、厄除・漁業・航海の守護神としての信仰は愈々篤く、今後とも神秘な霊気によって人々の魂を高めて行くであろう。
(案内板より)
メモ 旧官幣大社。
宮崎を代表する神社で、日南海岸沿いに鎮座し、本殿は岩窟内にあるという特異な古社です。
累代別当の墓が残っているなど神仏習合の名残が色濃く残る神社でもあり境内は神秘的な雰囲気に満ちています。
歩いて20分程度離れた岩窟内に鎮座する波切神社には波切不動尊も祀ってあります。 マスコミにも度々登場する今流行りの「パワースポット」として紹介されがちですが、実はこの波切神社にこそ鵜戸神宮の真髄があるといっても過言ではないくらい神秘的なスポットです。
地図

大鳥居

参道入口

八丁坂参道口にある社号標

八丁坂参道口の鳥居

八丁坂

八丁坂の社号標

八丁坂参道

八丁坂参道

八丁坂参道

駐車場側の鳥居

参道

神門

参道

楼門

紙開発石灯籠(飫肥藩の製紙業成功を祈念して1832年奉納)

紙開発石灯籠(飫肥藩の製紙業成功を祈念して1832年奉納)

参道

種田山頭火句碑

手水舎

参道

参道

神窟入口の鳥居

本殿

本殿

皇子神社
(祭神:彦五瀬命)

九柱神社
(祭神:神直日神、大直日神、伊豆能売神、底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神、底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命)

御霊石(室町時代中期頃から祀られている鵜戸山大権現仁王護国寺の信仰のなごりということです)

お乳岩

産湯の跡

お乳水

亀岩

参道からの風景

参道からの風景

吾平山上陵入口の神門

鵜戸の古狛犬(文政八年、1828年の土砂崩れで海中に没していたのを引き上げて修復したもの)

鵜戸稲荷神社参道入口

鵜戸稲荷神社狛犬吽形

鵜戸稲荷神社狛犬阿形

鵜戸稲荷神社の鳥居

鵜戸稲荷神社(江戸時代に伏見稲荷大社から勧請)

恵比須神社

吾平山上陵入口の鳥居

波切神社への参道

波切神社への参道

波切神社全景

波切神社鳥居

波切神社内の石仏

波切神社

波切神社社殿

波切不動尊

不動明王像

波切神社から見た風景

鵜戸山別当墓地入口

鵜戸山別当墓地

初代別当墓地

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