神社名 | 須我神社(雲南市) |
鎮座地 | 島根県雲南市大東町須賀260 |
由緒等 |
旧縣社。 「当社は古事記(和銅五年・西暦七一二年)に所載の神社です。肥の河上で八俣遠呂智をご退治なさった須佐之男命は遠呂智の尻から得た霊剣、天之叢雲剣を捧げ持って、宮を遷るべき良いところを求めて此処に到り「吾が御心清々し」と仰せになりました。 この地を須賀といい、此処に宮をお造りになり「須賀宮」として奇稲田比売命と共にお鎮まりになりました。また剣はいかにも畏れ多いとお思いになって天之叢雲剣と銘づけて天照大御神様に献上なさいました。その時美しい雲が立ち騰がるのをご覧になって「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣つくるその八重垣を」と御歌を御詠みになりました。 このことから当社は古事記・日本書紀に顕されている「日本初之宮」であり、「和歌発祥」の宮であります。やがてこの宮で御子神がご誕生になり御名を清之湯山主三名狭漏彦八島野命と申し上げます。 出雲国風土記(天平五年・西暦七三二年)では、須我社、須我山、須我小川などの表記があり、賀と我の両様の文字を当てていたものと思われます。 また、当社の後方二キロ米の所に八雲山がありその山懐に磐座があります。その巨岩は夫婦岩と称し神社の奥宮として祭祀しております。良縁結び、子授けの霊験・御利益があるとして「二宮詣り」の信仰があります。 当社の旧社格は県社であり神佛霊場では第十六番の神社であります。」 (案内葉より) |
メモ |
旧縣社。 松江市街から南へ山奥の県道を車で30分程度、八雲山の麓の非常に静かな場所にあります。 境内は鏡智山普賢院がシームレスにつながっており、かつての神宮寺としての立位置と関係が保たれており、神仏習合の薫りが色濃く残っています。拝殿の両脇には巨大な御神木が聳え立ち迫力があります。本殿は大社造です。 「古事記」で須佐之男命が八岐大蛇を退治したあとに建てたとされる神社で、また出雲国風土記では「須我社」として登場します。延喜式には載っていませんがかなりの古社であることは間違いありません。 もちろん諸説ありますが、須佐之男命が建てた日本最古のお宮として「日本初之宮」を称するともに須佐之男命が初めて和歌を詠んだことから「和歌発祥」の神社とも呼ばれています。 もともとは出雲国風土記で大原郡海潮郷の箇所で出てくる須我の地主神「須義祢命」が当初の御祭神であったと考えらています。ちなみに現在ではその須義祢命は同じ雲南市の加茂町にある式内社の宇能遲神社やそこから分霊した須美禰神社にお祀りされています。 戦国時代に諏訪大社から建御名方命を勧請したことから諏訪大明神と呼ばれ、須佐之男命の色が若干薄くなる時代もありましたが明治時代に元の須我神社、地名も須賀に戻りました。 |
撮影年 | 2024年 |
地図 |