神社名 | 玉作湯神社 |
鎮座地 | 島根県松江市玉湯町玉造508 |
由緒等 |
旧縣社、式内社。 玉作湯神社は、奈良時代の『出雲国風土記』(天平五年、733年)に記された古い神社で、式内社でもあります。玉造の神、櫛明玉命、国造りと温泉療法の神、大名持命(大国主命)、温泉守護の神、少彦名命の三神を祀っています。 神社境内は国指定史跡出雲玉造跡(宮ノ上地区)の一画にあたり、花仙山周辺では最古の玉作り遺跡で、弥生時代末から玉作りが行われていました。 江戸時代には「湯姫大明神」「湯舩大明神」とも呼ばれ、藩主の崇敬が厚く、隣接する玉造御茶屋(松江藩の静養施設)に松江藩主が訪れる際には、必ず玉作湯神社に参詣しています。 藩主から神社へ品々の寄進もあり、それらは玉作湯神社に大切に保管されています。明治時代以後、天皇即位の際しては、ここで作られた瑪瑙・碧玉製品が献上されていました。 (案内葉より) |
メモ |
玉造温泉街の端にある玉作湯神社は歴史は古く、出雲国風土記に登場し、式内社でもあります。
御祭神のうち櫛明玉命は三種の神器の中の「八坂瓊の勾玉」を造った神様です。 その玉造温泉は出雲国風土記にもその効用とともに比較的具体的に記されています。 風土記の該当箇所を一部引用すると、 「一たび濯げば形容端正しく、再び沐すれば万病悉く除ゆ。古より今に至るまで、験を得ずといふことなし。故、俗人、神の湯と曰ふ。」 と書かれています。古代から美容だけでなく万病に効能のある「神の湯」とされていたことが分かります。 参道途中には古代の住居風の収蔵庫があり、ガラスや砥石など古代の玉作りに関する玉などを見学することができます。 また、境内の端には「願い石」があり触れると願いが叶うとされています。 本殿は大社造りをベースに変化を加えた造りで見応えがあります。 一の鳥居の神額は、第二十五代、第二十七代内閣総理大臣であった若槻禮次郎が揮毫したものです。 若槻禮次郎は島根県松江市雑賀町の足軽の家の出身で裕福とはいえない環境で育ちましたが、司法省法学校、帝国大学を主席で卒業し、二回も総理大臣になり、その後も重臣会議の主要メンバーとして政界で活躍しました。世間の歴史的な評価は必ずしも高くないですがその出自の困難から才能で獲得した見事な経歴と穏健な思想はもっと評価されるべきだと個人的には思います。 |
撮影年 | 2024年 |
地図 |