神社名 | 草津八幡宮 |
鎮座地 | 広島県広島市西区田方1-11−27 |
由緒等 |
草津八幡宮(八幡神社) 旧称 力箭八幡宮 祭神 品陀和気命・息長帯比売命・帯中津日子命 (相殿神)宗像三女神(多紀理姫命・湍津姫命・市寸島姫神) 素盞鳴神・倉稲魂神・金刀比羅神 由緒 古来、この草津、古江の地は深い入江であって天然の良港をなし神武天皇、神功皇后の伝説を多く残している。社伝によれば推古天皇御宇(五九三~六二八)宮島の厳島神社とほぼ時を同じくして、この入江の奥に多紀理姫命を海路の守護神として祀ったのが当神社の創祀という。 八幡神の奉斎の時期については、諸説があり定かではないが十二世紀末、鎌倉幕府の命を受け武蔵国渋谷郷(現東京都渋谷区)から当地に御家人として来住した社家始祖(右衛門大夫または右京大夫と伝える)が八幡神を勧請し、古くより当地に祀られていた「多紀理の宮」と合祀して八幡宮を創建、後に力箭八幡宮と称した。また一説によると、宇佐八幡宮の社人、宇佐彦が土佐に赴き、七代目の渋谷右衛門大夫という者が当地に来り、宇佐八幡宮より金交石の御分霊を戴き、これを宇佐来山麓に勧請したとも伝えられ、安芸の国では最も古い八幡宮の一社といわれている。往古、当社の崇敬範囲は己斐より廿日市に至る沿岸部一帯に及んでいたという。昭和6年、近郷六箇村の氏子により境内地の造成と共に総ての社殿が再建造営された。相殿神の宗像三女神の内、市寸島姫命と多紀理姫命は明治二十五年厳島神社より御分霊を神馬にお乗せして盛大に勧請され、素盞鳴命、倉稲魂神、金刀比羅神は明治末期の神社統廃合の折、合祀されたものである。なお、古くは社殿は海浜にあったと伝えられるが再建の度に高所へ遷され、現在では力箭山の中腹に鎮座している。 (案内板より) |
メモ | 広電草津駅から歩いて10分程度の小高い丘の上に鎮座する神社です。 参道はかなり急です。 |
地図 |