神社名 | 玉造稲荷神社 |
鎮座地 | 大阪市中央区玉造2-3-8 |
由緒等 |
詳しくは公式サイト 玉造神社 ご由緒 主神 宇迦之御魂大神 相殿 下照姫命 月読命 稚日女命 軻遇突智命 創祀は垂仁天皇十八年秋(紀元前十二年)とされ、古代には「日本書紀」に記された玉作部の居住地にもなりました。 その後、物部氏と仏教受容問題で争った聖徳太子(厩戸皇子)は、当神社において戦勝を祈り、戦乱後は自ら観音堂を当地へ建立されたと伝わっています。一方、近世に入っても大阪城代着任の際、当神社に参拝し定紋の提灯を奉納する等その厚い信仰は引き継がれました。明治期から戦前にかけて、全国の神社が国家管理となり、社格も当神社は「府社」となりました。 平成元年(西暦1989年)には「創祀二千年祭」を挙行しました。 (案内板より) |
メモ | 旧府社で大阪を代表する稲荷神社の一つです。 大阪城にほど近く、古代の玉作部(勾玉等を製作していた職業集団)との関わりの深い神社です。 |
地図 |