神社名 | 惣社八幡宮 |
鎮座地 | 山口県山陽小野田市大字郡753 |
由緒等 |
惣社八幡宮略記 ◎主祭神 應神天皇 神功皇后 田心姫命 ◎配祀神 姫大神 多岐都姫命 市杵島姫命 ◎由緒 「惣社八幡宮由緒」によると、文治三年(一一八七)二月十一日に、源頼朝が鎌倉の鶴岡八幡宮の御分霊を勧請して、長門国の宗廟として創建し、箱田長門守頼道を大宮司職に補任し、厚西・豊東・豊西三郡を私領として宛行ったとある。 また、「寺社証文」記載の当社社伝には、厚西郡(旧厚狭郡)の地頭箱田小太郎広貞が、源平の合戦のとき源義経の手に属し、壇の浦で軍功を立てたので、源頼朝がこれを賞して、長門守頼道と改名させ社職に補しとある。 くだって、応永十年(一四〇三)に箱田一族が滅亡し、大内盛見の命によって幡生氏が大宮司幡生蔵人正利家に宛てた書状には、大宮司私領として、「厚西郡の中末益七十一町を永代宛行う」と記してある。 また、社伝によると、当社社殿は板垣の津(現西下津)に建立されたが、天正末年(一五九〇)頃に、三沢氏が毛利氏から厚西郡を配地されたとき、社地を屋敷とし居館を構えたので、神社は現在の場所の野中・渡田如意山に遷座したとある。 創建以来、大内氏・毛利氏の庇護も厚く、四十石の社領も与えられており、当時の権勢が伺われ、氏子内の殿町に居館のあった四本松毛利氏も、産土神として崇敬し、宝永三年(一七〇六)には、毛利就久が一の鳥居を建立している。因に社紋は毛利氏の家紋と同じ「長門三つ星」である。 (案内板より) |
メモ | 長門国の宗廟。宇佐、石清水ではなく、鶴岡八幡宮からの勧請。 |
地図 |