神社名 | 古尾八幡宮 |
鎮座地 | 山口県宇部市東岐波1450-1 |
由緒等 | 古尾八幡宮 由緒 主神 品陀和気命(応神天皇) 例大祭 十月十日 神紋・左三つ巴 (沿革) 奈良時代天平勝宝三年(西暦七五一年)に豊前国(大分県)宇佐八幡宮(現在の宇佐神宮)の分霊を勧請して社殿を古尾の地(現在の磯地五反田南方の高台中央腹)に創建し、古尾八幡宮を以て賀宝庄(現在の佐山・阿知須町・東岐波・西岐波)の鎮守として地域内に生活する人々が守護神として崇敬し来たつた。 以来四百八十二年間、古尾に鎮座せられたが世の進むにつれ参拝に不便を感じ、天福元年(西暦一二三三年)には「王子一本松」の下で南北の氏子が協議の結果、社を南と北に分かつこととし南は南方八幡宮(西岐波)、北は北方八幡宮(阿知須)として祀られた。 明治十二年六月、吉敷郡岐波村は東と西の両村に分割せられたことにより、一村一社制の下、同十九年八月一日、東岐波は南北分社(天福元年)以来からの氏神であった南方八幡宮から分離して、末社稲荷神社を以て氏神とした。 明治二十年六月一日、東岐波氏子は南方八幡宮の分霊を奉遷し、尚また同四十二年には豊補郡内日村・室路八幡宮の末社・大河内八幡宮の遷座を請け、これに稲荷神社・赤崎神社を始め、王子権現・若宮社・松堂社以下村内各区の小宮(各鎮守社)を勧請・合祀して古尾八幡宮と改称(同四十三年十月二十日・山口県知事許可を得)緑したたる波雁ヶ浜(波雁山)の中央に社殿を建立し、明治四十四年六月一日、荘厳なる古尾八幡宮奉告祭式(遷宮)を挙行し、東岐波の産土神社(地区の守護神)として現在に至っている。 (案内板より) |
メモ | 岐波海水浴場のそばで、浜風が吹き抜けるさわやかな神社です。 |
地図 |