神社名 南方八幡宮
鎮座地 山口県宇部市上宇部大小路
由緒等 山口県神社庁のサイトより引用
御創建は、奈良時代の天平勝宝三年(七五一)、厚東氏四代の白松太夫武綱公が、豊前国宇佐八幡宮の御分霊を迎え、古尾(現在の東岐波区古尾)の地に社を建て、吉敷郡賀保荘の鎮守としたことに始まる。鎌倉時代の天福元年(一二三三)、大内十五世多々良弘貞の時、賀保荘を南北に分け、南は吉沢(西岐波上ノ原)の清水山に仮宮を建て、その後建長七年(一二五五)、現地に奉遷して南方八幡宮とし、北は須田村へ北方八幡宮としてそれぞれ分祀された。その後室町時代の応永十五年(一四〇八)、火災に罹り、本社・末社・神宝等悉く焼失した。そのため、応永十七年(一四一〇)に領家・地頭・公文等の三家は、守護大内左京太夫盛見の命を奉じて再建に着手し、本殿・幣殿・舞殿・若宮まで造営を終え、元亀二年(一五七一)には懸案であった楼門も造営された。その後年月を経て、江戸時代の慶長十年(一六〇五)頃には、当社は大変衰退した。そのためか、しきりに疫病が流行し五穀も稔らず、そのため村民は恐怖し、社殿造修の事を藩庁に上申したが許可されなかった。漸く寛永十四年(一六三七)に至り、復旧の許諾を得た。現在の社殿は概ねその時の建築であるが、本殿は元禄八年(一六九五)、楼門は享保五年(一七二〇)、解体修理して再建した。明治六年(一八七三)郷社に列し、昭和十八年(一九四三)県社に昇格した。
メモ 旧縣社。
社殿が見事です。楼門と拝殿が一体化している山口県独特の構造です。
地図

社頭

一の鳥居そばの狛犬吽形

一の鳥居そばの狛犬阿形

社号標

参道

参道上の狛犬吽形

参道上の狛犬阿形

二の鳥居

二の鳥居神額

手水舎

手水舎そばの狛犬吽形

手水舎そばの狛犬阿形

大内様式の大きな楼門。楼門と拝殿が一体化した構造になっています。

楼門前の狛犬吽形

楼門前の狛犬阿形

楼拝殿内

本殿

社殿脇に接着した若宮八幡宮

社殿全景

鐘撞堂

梵鐘

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