神社名 | 中山神社 |
鎮座地 | 山口県下関市綾羅木本町7-10-8 |
由緒等 | 長門下関 北浦総社 中山神社由緒記 左殿 明治天皇 御祭神 正殿 中山忠光朝臣命 右殿 天照皇大神 中山忠光朝臣命は、弘化二年四月十三日従一位大勲位中山忠能の五男に生れ、明治天皇の御生母中山一位局は姉君であり、従って忠光朝臣命は明治天皇の叔父にあたる。 忠光朝臣命は忠誠の気質に富み、皇室の武徴を嘆き武門の専横をいきどおること一層熾烈であった。文久三年八月天忠組の主将として大和義挙により明治維新の鴻業の端緒をつくられたが、幕府軍の為に敗走して下関に足を止め、勤王の志士と交り大いに活躍中、元治元年十一月八日夜豊北町田耕字長瀬に於て俗論党の兇手に倒れ、悲惨な最期を遂げられた。 兇徒は尊骸を其の夜のうちに約四十キロ離れた、当神社松林まで運び密かに埋葬した、後に此を奇兵隊が探知して当初木の墓標を建てた。慶応元年十一月豊浦藩は墳墓の上に社殿を造営し英霊を祀ったのが当神社の創立である。 その後、忠光朝臣命の精神は多くの勤王の志士を奮い立たせ明治維新の大業は遂行されたのである。 墳墓は社殿右側の丘に有り、旧満州国皇弟一族を祀る、愛新覚羅社と宝物殿は左側に有る。 (案内板より) |
メモ | 下関市の日本海側に鎮座する旧縣社。愛新覚羅一族をお祀りした愛新覚羅社が鎮座しています。 |
地図 |