神社名 赤間神宮
鎮座地 山口県下関市阿弥陀寺町4-1
由緒等 公式サイト
壇ノ浦の戦いで平家一門とともに崩御された安徳天皇を赤間関紅石山麓阿弥陀寺境内に奉葬。建久二年に安徳天皇御陵上に御影堂建立したのが始まり。
その後、神仏分離令により阿弥陀寺を廃し天皇社となり、その後赤間宮、赤間神宮と改称した。
メモ 旧官幣大社
鎮座地の地名からも分かるように仏教色が非常に強い神社です。壮麗な社殿は極楽浄土をイメージさせるにふさわしい造りです。
見所が非常に多く、宝物館もあるので、源平の歴史に興味のある方には非常に楽しめる神社です。
また、奥には大連神社というもともと中国大連にあった神社が鎮座しています。
地図

社頭。常時観光客で溢れています。

太鼓楼

中華風の大きな水天門

水天門を下から

境内

手水舎

左手の獅子。大連神社の氏子有志の手で中国大連から運んで奉納されたものだそうです。

右手の獅子。大連神社の氏子有志の手で中国大連から運んで奉納されたものだそうです。

拝殿

拝殿

拝殿

拝殿勅額
「有栖川宮幟仁親王殿下の御染筆を高円宮同妃両殿下の御監修並びに除幕を賜はれるもの」ということです。

拝殿内

拝殿内

拝殿前の狛犬吽形

拝殿前の狛犬阿形

拝殿左の七盛宮

七盛宮神額

水天供養塔の由来
「安徳天皇は御位のまま御入水され水天皇・水天宮と申し上げます。
吾が国民は天皇の御守護のもと
斯く永らへ安心して冥黙も出来ます。
同時に亦国民同胞の中に或は海難に水難にと幾多の水歿者の方々は即ち
水天皇さまの御膝元に冥りたく、
此の石塔の台石下に幾多の小石に
名を留めて納められています。
人は名を留むる事に依り安心を得る
もので即ち是を水天供養塔と申します。
一、昭和二十五年三月建立
一、今次大戦中水歿者霊位」

芳一堂。
「耳なし芳一の由来
 その昔 この阿弥陀寺(現・赤間神宮)に芳一といへる琵琶法師あり
 夜毎に平家の亡霊来り いづくともなく芳一を誘いい出けるを ある夜番僧これを見あと追いければ やがて行く程に平家一門の墓前に端座し一心不乱に壇ノ浦の秘曲を弾奏す あたりはと見れば数知れぬ鬼火の飛び狂うあり その状芳一はこの世の人とも思えぬ凄惨な形相なり さすがの番僧慄然として和尚に告ぐれば一山たちまち驚き こは平家の怨霊芳一を誘いて八裂きにせんとはするぞ とて自ら芳一の顔手足に般若心経を書きつけけるほどに 不思議やその夜半 亡霊の亦来りて芳一の名を呼べども答えず見れども姿なし 暗夜に見えたるは只両耳のみ 遂に取り去って何処ともなく消え失せにけるとぞ
 是より人呼びて耳なし芳一とは謂うなり」

耳なし芳一像

高浜虚子の歌碑

平家一門の墓

平家一門の墓

日本西門鎮守八幡宮。
御祭神は八幡大神と神功皇后。今から千二百年前の貞観元年、行教和尚が宇佐から京都の石清水へ御分霊を勧請される途中に西門の守り神として創建されたとのことです。

日本西門鎮守八幡宮の本殿

大連神社と紅石稲荷神社の参道口

大連神社楼門

大連神社楼門を護る獅子

大連神社楼門を護る獅子

大連神社参道

大連神社参道脇の地蔵と手水鉢

大連神社参道上の壇ノ浦漁釣船。いわゆる「倭船」。

大連神社。
御祭神は天照皇大神、大国主大神、明治天皇、靖国神。
日露戦争後に進出した満州への玄関口、大連市に鎮座していた神社です。

大連神社賽銭箱

大連神社本殿

大連神社社殿

大連神社社殿

大連神社左の祖霊社

大連神社右手の境内社

大連神社右手の大東塾十四烈士之碑

紅石稲荷神社参道口

紅石稲荷神社参道

紅石稲荷神社

境内右手の日本西門鎮守八幡宮の鳥居

水天門左手の安徳天皇御陵

赤間神宮と道路を挟んで向かい側の駐車場。壇ノ浦を臨みます。向かいは門司港です。

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