神社名 | 神上神社 |
鎮座地 | 山口県周南市下上 |
由緒等 |
御祭神 主祭神 神武天皇 配祀神 天照大御神 月読命 御由緒 神上神社は神武天皇の聖蹟 神倭伊波礼毘古命(神武天皇)は、遠大な建国の御計画のもとに、舟師をひきいて、日向高千穂を進発され、長い年月と幾多の辛酸を経て大和を御平定、橿原宮において我が国初代の天皇として御即位になった。 この神上の地は、天皇が日向御進発の当初、海上の遭難によってお立寄りになり、半年の間をお過ごしになった行宮であり、御東行の途次、暫し安らかに憩われ、深くみこころに留め給うた聖蹟である。 (中略) 天皇は、この神上の地に深く御心をお留めになり、御出発にあたって「朕何国ニ行クトモ魂ハ此ノ假宮ヲ去ラザレバ長ク朕ヲ此ニ祀ラバ国ノ守神トナラン」と宣らせ給うた。 里人等はその御旨を畏み、假宮の地に祠宇を建立し「神上宮」と称して斎祀し奉った。 皇室の厚い尊崇と、公卿・武門の深い崇敬 一、往古、当神社及び遠石宮(注:現遠石八幡宮)の祭礼に、勅使として宇佐津臣命を差し遣わされ、官者殿と称したが、文政年間、これに代えて木造随身倚像を奉った。 一、村上天皇は、勅使造営を行わせられた。 一、矢々部太子が勅願により、内陣一宇の修営と、神輿三社を奉献した。 一、藤原朝臣末延卿・橘朝臣近守が神輿を奉献した。 一、足利尊氏公よりの寄進があった。 一、大内家代々、毛利家代々より田畑・山林其他を寄進された。 一、大内義興は、社殿をはじめ、神器神具・武器を奉献された。 一、陶隆房は、社殿を再建した。 一、毛利市の治世となり、就隆・元次・広豊の代にも神殿の造営がなされた。 神社名称の変遷 一、旧記によれば「神上神武天皇宮」「神武宮」等の称号が一般に用いられていた。 一、後に「日月の神」を配祀して「神上大明神」と改められた。 一、明治三年五月、「神上神社」に改称された。 一、大正七年五月、郷社に列せられた。 (案内板より) |
メモ |
旧郷社。 山陽地方では神功皇后関連の神社が非常に多い中、神武天皇とのつながりが非常に強い古社であり、雰囲気も非常に神秘的です。小高い丘の上にあり、眺望も抜群です。 ただ、車で参詣すると道が大変狭いので注意が必要です。 |
地図 |