神社名 | 山崎八幡宮 |
鎮座地 | 山口県周南市宮の前1-9-10 |
由緒等 | 公式サイト 御祭神 田心姫命 湍津姫命 市杵島姫命 應神天皇 神功皇后 和銅二年八月豊前国宇佐より分霊を本市富田の神室山に祀り宝亀元年十一月山崎の地に遷す。もと江宮と称し後荘寺八幡宮と改称、慶應二年山崎八幡宮と号を改む。古来領主藩主の崇敬篤く天文八年領主陶弘護同隆房は扁額を寄進江戸時代には毛利歴代藩主の祈願所として藩主の社参、代参、連歌の献詠、流鏑馬等が行われた。また新南陽市はもとより野島、大津島、徳山市周辺の氏神様として広く庶民に信仰されうやまわれている。 (案内板より) 山崎八幡宮は、社伝によると和銅二(七〇九)年、豊前国宇佐神宮の分霊を富田河内の神室山に祀った後、宝亀元(七七〇)年、今の地に遷したことに始まる。大同元(八〇六)年と宝暦七(一七五七)年に焼失しましたが、翌八年に徳山藩六代藩主毛利広寛によって再建されました。現在の社殿は明治十三年に改築されたものです。 元禄十五(一七〇二)年に徳山藩三代藩主毛利元次が五穀豊饒を祈願して当社に本山・爺山・婆山を奉納したことに始まる神事は、平成十四年に市指定文化財(無形民俗文化財)に指定されました。また、かつて例祭の前には連歌が奉納され、延宝八(一六八〇)年から明治五年までに奉納された連歌懐紙(付 重硯一式)は昭和五十七年に市指定文化財(書跡)に指定されました。 (案内板より) |
メモ | 旧縣社。 非常に落ち着いた雰囲気の神社で、造りがちょっと変わっています。 |
地図 |