神社名 | 剱神社 |
鎮座地 | 山口県防府市高井1154 |
由緒等 |
本社は人皇第六十代醍醐天皇の時に作られた延喜式(西紀九〇五)に登載されている式内神社で、最も古い周防国十座の中の一座である。 社伝に人皇第十四代仲哀天皇熊襲御親征の時、当地に行幸し、賊徒降伏祈願のため「八渥の剣」を御神体とし、武勇の神「素盞鳴尊」を鎮祭し玉うたに初まり、神功皇后夷賊御征伐の際、傍の坂に登り、海上を臨み、神徳の加護を祝して群臣と共に御勝利の雄叫びをあげ玉う。 よってこの坂を名付けて勝獲坂(今の勝坂)と称す。 この事跡を慕い源義経は西下の際、参拝して弓矢鎧鉾を奉納し、太閤豊臣秀吉も九州進発の時に、願をかけ、帰陣の後唐の太鼓を寄進した。 大内、毛利氏代々も尊崇厚く広大な神田を寄進して戦勝並びに領内平穏と五穀豊穣とを祈願した。 往古、長暦年中(西紀一〇三七)までは国幣使を立てられていたが、明治維新後郷社に列せられた。 なお昭和四十三年十二月一日山形県鎮座の居合神社の御分霊を配祀した。 (案内板より) |
メモ | 周防国式内十座のうちの一社。防府市から山口市へと抜ける萩往還(国道262号線)沿いに鎮座します。 |
地図 |