神社名 飯山八幡宮
鎮座地 山口県長門市東深川藤中1832
由緒等 飯山八幡宮御由緒

御祭神三座 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后
   相殿 三女神  仁徳天皇

 縁起に云ふ 四十九代光仁天皇の宝亀三年三月十四日 此の地方の縣主上田宿祢宇津見と云ふ者神告に因って 豊宇佐神の威霊を深川西池に鎮斎して薦池八幡宮と称し自ら神主となり神事を斎行したのが當宮の創建である
 後五十一代平城天皇の大同二年八月勅命に依って現在の飯山に移し奉り深川仙崎の総氏神として郷土民心の帰趨するところとなり 興亡茲に一千二百年 神光華明普く蒙らざるなく 八十六代四條天皇の歴仁元年八月十七日暴風のために神宇倒濱 即ち勅宣を蒙って之を再建し 仁治二年八月十四日新廟を祭ると云ふ
深川仙崎の氏子は素より 廣く諸人の崇敬を纂め其の神恩の厚きは除貧困疾病生富貴聰明と古記録も誌してゐる
 又大内家尊崇厚く 嘉吉三年に鷲頭弘忠が 永正五年に一族多々良廣盛が鳥居を建立してゐる
 毛利家も亦厚く尊崇し 八箇国分限帳に二石五斗の社領を有し 藩政時代には三石六斗余を領した 又藩政の祈願所として歴世藩主の参拝 代参を始め 幣帛 物品の供進も屡次であった
元治元年春 維新の元勲三條實美卿當宮へ参拝し國難平定 皇威宣揚を祈願してゐる
明治六年十一月郷社に列し 大正十年七月二十三日縣社に列せられた
尚 當宮蔵に大般若波羅蜜多写経がある 大願主安楽寺行泉ほか八名が 永徳元年四月二十六日から應永十四年三月六日まで 九ヶ年かかって書き写したものである
其の他、社蔵の主たるものに永和二年八月一日奥書縁起巻物 嘉吉三年 永正五年 寛永十一年の上棟札、銘石道正直の太刀 三條實美書扁額等がある
(案内板より)
メモ 旧縣社。
長門中心部から南へ下ったところに鎮座する長門市でも最も歴史ある神社。
山口県北部らしい簡素で重厚な社殿が特徴的な古社です。
地図

社頭

一の鳥居

社号標

二の鳥居

旧手水舎

参道

参道

境内

変わった構造の手水舎

拝殿前狛犬吽形

拝殿前狛犬阿形

拝殿

拝殿

社殿全景

深川神社・長門宮地嶽神社の鳥居

深川神社・長門宮地嶽神社

詳細不明

境内社鳥居

境内社

忠魂碑

大楠

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