神社名 | 金谷天満宮 |
鎮座地 | 山口県萩市大字椿3030-1 |
由緒等 |
長門国萩金谷天満宮は、社伝によると鎌倉時代文治二年(一一八六)七月、長門守護職佐々木四郎高綱が大宰府より勧請したと言われている。 しかし当社が早く焼失したため、室町時代ごろのありさまは明らかではない。 戦国時代になると、毛利氏は当社を「長州第三天満宮」と称して庇護し、天正十一年(一五八二)の社殿造営に際して、毛利輝元は造営願の安堵を行っている。当社は奥金谷にあったが、享保五年(一七二〇)藩主毛利吉元の時、現在地に遷宮された。 秋の祭礼には、平安古の手廻備行列・古萩町の大名行列・唐樋町の御神幣・川島の聖・河添と御許町の子供神輿・椿町の踊り車等による奉納がきらびやかに繰り出し、萩の二大祭りとして賑わっている。 祭りの終わりにはご神体を御網代車に乗せた「御神幸」が古天神まで古式にのっとり厳かにとりおこなわれている。 (案内板より) |
メモ | 旧郷社。 萩市内ではここしかない鮮やかなベンガラ色の仁王門、拝殿・回廊が見どころです。 仏教色の強い神社で、神仏習合の往時を偲ばせる造りとなっています。 |
地図 |