神社名 椿八幡宮
鎮座地 山口県萩市大字椿3702
由緒等 祭神 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后
配祀 宇治皇子 難波皇子 玉依姫 高良大明神 住吉大明神

 椿八幡宮は鎌倉時代、後嵯峨天皇の時代の一二四三年に長門守護職であった佐々木四郎高綱が源頼朝の命を受け、相州鎌倉にある鶴岡八幡宮の分霊として祠を川上村立野に建立したのがはじまりである。
 翌年、一二四四年に椿の木部に祠をうつしている。
 その後七十年を経て、一三一四年に地頭の三次康久が現在の地に小宮を建てた。室町時代の一四二七年、安土桃山時代の一五八三年に再造営している。
 椿八幡宮は守護や地頭の尊崇が厚く、多くの神田や神領が寄進された。また一郡一郷の守護神として、春と秋の神事には各地域から神主が集まり、国家安全の祈祷が二夜三日にわたって行われたと言い伝えられている。
 江戸時代になっても藩主毛利氏の尊崇が厚く、一六九五年に綱広公の造営により本殿・楼閣が備わり、現在の神社の形が整うと共に神社の領地として一二石が与えられた。その上、年中の祭祀や修繕の費用も藩から支給された。
 廃藩置県後、領地は没収されたが、明治六年県社になった。昭和二一年に制度が改まり、国家の管理から分離し、県社の格を廃して神社庁の所属となり今日に至っている。
(案内板より)
メモ 旧縣社。
小さな神社ではありますが、萩市内でも歴史が古く由緒正しい神社です。
西日本では珍しく、宇佐や石清水ではなく鎌倉の鶴岡八幡宮からの勧請です。
地図

鳥居

手水舎

拝殿前狛犬吽形

拝殿前狛犬阿形

拝殿

本殿

清神社鳥居

清神社(祭神 須佐之男命 大国主命 稲田姫命)

清神社本殿

猿田彦大神

神楽殿

御神木

御神木

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