神社名 松陰神社
鎮座地 山口県萩市椿東1537
由緒等 公式サイト

松陰神社御由緒

祭神 贈正四位 吉田矩方命
     号 松陰、二十一四儀志 幼名 虎之助、大次郎、寅次(二)郎

創祀
明治二十三年八月松下村塾改修の際、塾生等故旧の人々の協力により、実家杉家の私祠として村塾の西側に土蔵造りの小祠を建て、神霊を鎮祭し、併せて遺墨、遺品を収めたのが始まりである。

創建
明治四十年九月十五日塾生伊藤博文、野村靖の名を以て公に神社創建を出願、同年十月四日県社(旧社格)として認可を得て創建されたものである。
土蔵造りの小祠を村塾の南隣に移し、祝詞殿神饌所を付し、社殿とした。祝詞殿は、もと萩城内にあった萩藩主毛利家の鎮守宮崎八幡宮の拝殿を移築したものである。
(案内板より)
メモ 旧縣社。
萩の観光名所の筆頭。顕彰系の神社の代表とも言えます。
境内にある松下村塾は「明治日本の産業革命遺産」世界遺産の一つとして登録されていますが、思ったよりも小さなことにびっくりしました。
地図

神社入口

一の鳥居

社号標

縣社の碑

吉田松陰歌碑
「親思うこころにまさる親ごころ
きょうの音ずれ何ときくらん」

境内入口

木製の二の鳥居

手水舎

境内

拝殿前の量産型狛犬吽形

拝殿前の量産型狛犬阿形

拝殿

本殿

松門神社手水舎

松門神社鳥居

松門神社の狛犬吽形

松門神社の狛犬阿形

松門神社社殿

勧学堂
「萩市椿東船津にあった品川彌二郎の屋敷内に小祠を建立し(昭和十五・十六年頃)、品川子爵の霊を奉祀していましたが、昭和六十年五月にこの小祠を現在地に移築改修し、勧学堂としたものであります。」

楷の木

松下村塾

松下村塾

松下村塾講義室

吉田松陰幽囚ノ旧宅(国指定史跡)

吉田松陰幽囚ノ旧宅(国指定史跡)、幽囚室

松下村塾そばにある孝行竹

「明治九年萩の変七烈士殉難之地」の碑

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