神社名 | 本渡諏訪神社 |
鎮座地 | 熊本県天草市諏訪町8-3 |
由緒等 |
天草総鎮守 本渡諏訪神社略記 御祭神 健御名方命(諏訪大神、信州諏訪大社の御祭神) 八坂刀売神(健御名方命の妃神) 八幡大神(第十五代応神天皇) 創立 弘安六年(1283)八月一日 鎌倉時代の二度に亘る「元寇」の折、本渡城主・天草大夫大蔵太子という女傑は水軍を率いて出陣し、諏訪大明神の御加護により我が国未曾有の国難を神風をもって御守護いただいたとしてその神恩に感謝し、弘安六年(1283)天草氏領土内の総鎮守として信州諏訪の御本社より諏訪大明神の御分霊を奉じ本砥山口の里に鎮祭したのが当社の創祀です。爾来、天草氏の氏神、郷中の総社として広く崇敬されましたが、寛永十四年(1637)の「天草・島原の乱」で他の寺社と共に一揆勢の手による兵火にかかり社殿神宝旧記を焼失しました。 乱の後、天草は天領となり初代代官に鈴木重成公(本町鈴木神社御祭神)は神社仏閣の復旧につとめ、人心の安定をはかりました。特に当神社の再建を急がせ海岸浜宮の地に新社殿を造営し、寛永二十年に山口の里より第二次御遷座となりました。 この時、鈴木重成公は乱後に荒廃した島の耕作の便利をはかり、当神社の例大祭に合わせ七日間の「農具市」を開かせます。この農具市が次第に「雑貨市」に広がり、島民は農具だけでなく、一年間の生活必需品の一切を買い求める「本渡の市」に発展。幕末の頃には「九州三大市」といわれるほどでした。現在に於いても例大祭では神幸行列を始めとした伝統神事を厳修し、併せて、多くの奉賛諸行事が執り行われております。大正四年には現在のこの地に第三次遷座となり、大正六年に「町山口諏訪神社」から「本渡諏訪神社」に社名が変更、昭和二十年に、天草の代表神社・総鎮守として「県社」に昇格となりました。昭和四十九年には中断久しかった「御諏訪太鼓」が天草本渡青年会議所の協力により大神楽「天草太鼓」として復活し当社祭礼を始め地域文化行事に奉奏されています。 このように諏訪大神の御守護、御神徳が天草島の文化産業をはじめとした繁栄の原動力となったことから今日に於いても人々の営みの護り神として篤く信仰されております。 (案内板より) |
メモ | 天草の総鎮守であり旧縣社でもある天草では中心的な神社です。天草・島原の乱、そして鈴木重成公の偉業という、天草には欠かせない歴史の象徴ともいえる神社です。 |
撮影年 | 2022年 |
地図 |