神社名 | 崎津諏訪神社 |
鎮座地 | 熊本県天草市河浦町崎津505 |
由緒等 |
祭神 健御名方大命 このお宮は正保四年(1647年)四月肥前国崎陽(現在の長崎)下諏訪宮の宮司藤原但馬橡忠次(後木下家養子)が当村崇敬者の大漁及び海上航海安全満足祈願の意を奉じて信濃国上諏訪宮より御分霊を勧請して現在地に遷座せしものなり 万治二年(1660年)御神幸祭を創始 享和元年(1801年)当地に疱瘡が大流行罹病者五百余人に及びこれを憂いて第九代木下播磨正藤原忠政宮司が鴨一速大明神を勧請平癒祈願の上当社に併祀せしものなり (境内案内板より) 崎津村の鎮守。「天草崩れ」の取り調べで提出した口述書「文化二年四月二日崎津村ヨリ差出候書付写」によると、「何方江参詣仕候而も矢張りあんめんりゆす(アーメンデウス)と唱申候」とあり、神社へキリシタン信者が信仰の枠を越えて参詣していた「共生」を示す場所です。 (案内板より) |
メモ |
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する12の構成資産のうち、「天草の﨑津集落(天草市)」内にある神社です。1569年、イエズス会の修道士アルメイダが布教を始め、小西行長の支配下で様々なキリスト教文化が集落に普及していました。その後、禁教令により、キリスト教が禁止されましたが密かに信仰が続いていました。 二の鳥居は1685年奉納のもので天草市内では最古の鳥居です。裏手の鳥居からは500段の階段を登ると金刀比羅宮に参拝することができます。 現在の参道を湾に向かって下っていくと崎津教会があります。崎津教会は1934年にハルブ神父と住民の寄附によって建てられたもので、初代崎津教会堂の老朽化で現在の地へ新築されました。 |
撮影年 | 2022年 |
地図 |