神私名 | 八代宮 |
鎮座地 | 熊本県八代市松江城町7-34 |
由緒等 |
1615(元和5)年、地震により麦島城が倒壊すると、城代・加藤正方は当地に城を移し、1622(元和8)年、八代城(松江城)を完成させる。欄干橋の擬宝珠には竣工年の銘が残されている。石垣には八代産の石灰岩を用い、麦島城の石垣も再利用したが、その白さから別名「白鷺城」とも呼ばれる。そもそも麦島城は一国一城令のなか存続を許された城だったが、八代城は新築を許された点で価値がある。1870(明治3)年に廃城になると城内の建造物は撤去され、1880(明治13)年、ここ本丸は八代宮の境内地となる。本丸には天守台を含む石垣や堀のほか、大書院の枯山水や井戸跡が残る。 八代宮の祭神は懐良親王。一の鳥居は旧大手門付近に設置され、参道が徳渕の津より直進する。二の鳥居の次に三間一戸、軒唐破風の四脚門がある。門に回廊と透き塀がつき、神殿を囲む。拝殿は入母屋妻入、向拝つき。左右に切妻屋根の神饌所がつき、拝殿の屋根と交差する。本殿は三間社流造で向拝の奥行きは深い。いずれの建物もかつては柿葺だったが、現在は銅板葺、妻飾はいのこ扠首、軒が深くプロポーションが美しい。組物などのしのぎは平らで、丸みがなく直線的である。開口部は腰長押または腰貫と内法長押の間に連子窓がつく。官幣社にふさわしい気品あるたたずまいである。 (案内板より) |
メモ |
懐良親王を祀る旧官幣中社。 比較的新しく創建された官幣社に多い非常にスッキリとした構成、建物の神社で、清浄さが重視されていて参拝する方も気分が清らかになります。 境内社の「霊社」には八代市郡の戦没英霊3866柱と職域に殉ぜられた英霊(三楽工業40柱、セメント工場8柱)を昭和23年4月2日奉斎しています。 |
地図 |