神私名 | 繁根木八幡宮 |
鎮座地 | 熊本県玉名市繁根木188 |
由緒等 |
祭神 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后 三座 当宮は平安中期の応和元年(九六一年)紀国隆が山城国石清水八幡宮を勧請し旧坂下郷総鎮護の社としたと伝える。旧郷社である。以来一〇五ニ年を閲する。紀氏は大野別府の政所として祭祀を管掌する一方降って鎌倉時代には地頭を兼ね大野郷ニ五〇町歩を領しその勢威を誇ったが天文の頃大野氏は滅亡した。天正十六年(一五八八年)肥後国守として入国の加藤清正公は荒廃した社殿その他の復興に力をいたされその後襲封された細川氏も敬神の美風を継承されたので漸次旧に復するを得た。創建当初の遺風を伝える節頭行事は当宮の重要祭儀であり秋の大祭に氏子地域内の輪番で奉仕されている。江戸初期に建立された楼門は当宮を代表する建造物で宏壮精巧な偉容は県内稀に見るもので上層の扁額は細川八代藩主重賢公の親筆を安栄六年(一七八六年)掲額された。又天保六年(一八三五年)には当地方の五穀豊饒を祈念し同田貫上野介宗広がうった神剣が奉納されている。この地は古くから県内五ケ町の一に数えられ舟運による対外貿易も盛んに早くから文化の拓けたところであり社域の貝塚後方の古墳補陀落渡海碑等が散財する。境内ニ六〇〇坪には欅、楠の老樹が繁茂し荘厳な社地を形成している。 武威殖産の広大な御神徳を景仰し郷民そろって厚、崇敬を捧げている。 (案内板より) |
メモ |
旧郷社。 非常に立派な楼門が特徴的な古社。裏手の稲荷神社境内には補陀落渡海碑もあります。 |
地図 |