神私名 野原八幡宮
鎮座地 熊本県荒尾市野原1529
由緒等     住吉大明神
御祭神 神功皇后
    応神天皇

由緒略記
 社記に云う延暦十五年桓武天皇九州静謐のため御綸命ありて勧請之し給う、とあり、又朱雀帝天慶年中相馬平将門叛逆の時、当国の太守尾藤少郷肥後守隆房に御綸命ありて兇賊退治のため当国中七社を祭祀せしめ給う其の一社となり。
 後深草帝の宝治年中小代平内左衛門重俊野原庄を領する時■(日へんに叟)田三百五十町を割き社領となせり。
 後伏見帝の正安年中に異國降伏の御祈願ありし一社となし。
 後陽成帝の天正年中に当て夏四月肥前國龍造寺隆信当國へ侵入の時当社兵焚に罹り御品一蕩然燃失せりとなり。
 其の頃小代伊勢守親傳の伯父小代澄眞と申す者当社の宮司職なりしが不日に再興(元禄八年五月)して蕉觀に復すといへり。
 因に云う、肥後國玉名郡野原庄西郷之神事流記帳破損せしに依りて、天文二十三年仲春上旬書之畢の書に
 従坂東御下向來始宝治元年野原庄給畢小代平内左衛門重俊当社を國家鎮護祈願所と定め建長四年始大行事の祭典を興しこと見ゆ、但し同記中放生會の次第も見ゆれど今は伝らず。
 然るに星霜既に経て小代氏没落すと雖えども行事等の式典今猶伝承す。是即ち今日の十月十五日の祭典となる。
メモ 旧郷社。
「のばらさん」として親しまれている荒尾市の中心的神社。
立派な楼門が特徴的です。
地図

一の鳥居

社号標

鳥居そばの地蔵堂

地蔵

参道

手水舎

二の鳥居

楼門

楼門神額

楼門木造狛犬吽形

楼門木造狛犬阿形

境内

拝殿前の狛犬吽形

拝殿前の狛犬阿形

拝殿

本殿

本殿

社殿全景

野原天満宮

野原天満宮内の神像

野原天満宮内の神像

末社

招魂碑

二の鳥居付近の新宮
神仏習合時代に祀られていた仏像を安置

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