神社名 | 於保天満宮 |
鎮座地 | 佐賀県佐賀市大和町大字池上4356 |
由緒等 |
於保城の跡 於保氏は遠く太政大臣藤原良房を始祖としている。於保氏の祖藤原実遠は京都内裏の警備役であったが保元の乱(1156)の鎮定祈願を北野天満宮に続けた功により後白河天皇の御内命を得て北野天神の分神を於保村北野に祭った。またこの地を菩提寺として長禅寺を開基した。建長七年(1255)の頃於保三郎宗益は肥前国執行職として於保、増田を領し於保城(館)をここに定めその子孫もまた幕府の御家人として重要な役をつとめた。天文三年(1534)於保城は亡び一家没落の悲運時代であったが天文二十年(1551)八戸右衛門太夫宗益のとき再興し、天満宮も改築された。元亀元年(1570)今山陣のとき大友方の先手に加わったため滅亡し、龍造寺隆信がこの地を支配するようになって城跡に天満宮を遷宮し今日に至っている。(後略) (案内板より) |
撮影年 | 2021年 |
メモ | 於保城跡に鎮座する神社です。於保氏と命運をともにした天満宮で、太宰府天満宮ではなく北野天満宮を勧請しているのがこの地では特徴的です。 |
地図 |