神社名 | 内田天満宮 |
鎮座地 | 佐賀県武雄市東川登町大字永野 |
由緒等 |
塚崎庄内田天神社縁起(内田天満宮) 塚崎(現在の武雄)十代の領主後藤幸明が鎌倉の荏柄天神の分霊を奉祀したものである。中央に菅原道真、左に道真の曾孫参議中将輔正、右に道真の正室吉祥女を祀る。 幸明の父、九代氏明の没後相続争いが起こり、幸明は訴状を鎌倉幕府に送ると共に、鎌倉荏柄天神に参籠して勝訴を祈った。幕府の裁決は幸明の勝訴と決定したので、幸明は荏柄天神の分霊を受けて塚崎に帰り、内田天神社を創建したものである。勝訴が決まったのが応長元年(1311年)七月二十二日であるから、数年後には社殿が出来上がったと思われる。 (後略) (案内板より) |
メモ |
国道34号線沿いに突然現れる神社。 天井絵は有田工業学校の図案絵画科の生徒が奉納したものを、同じく有田工業高校デザイン科の生徒により修復されたものです。 |
地図 |