神社名 | 矢俣八幡神社 |
鎮座地 | 佐賀県三養基郡みやき町天建寺 |
由緒等 |
言い伝えによると57代陽成天皇のときに、藤原鎌足の後裔である藤原秀清が官吏として、この矢俣保に赴任するとき、石清水男山八幡宮を分祀し元慶2年(878)4月15日に坂口村開平に八幡宮を勧請したと言われています。その後、年数を経て宮村に遷座しました。 納江出雲守源義宣がこの矢俣郷を領有したとき、この八幡宮をとても崇敬して弘安6年(1283)に社殿を再建し、9月27日を祭日と定めて神事を復興しました。能舞・神楽・流鏑馬・浮立はこのときから奉納されるようになったそうです。 慶長5年(1600)鍋島勝茂公が徳川家康の命をうけて、柳川の立花宗茂を攻めるにあたって、北市場の渡しを渡るとき、それに先立ってこの八幡宮に参詣し、戦勝祈願と同時に徳川・鍋島の和合を祈願しました。そのときの成就によって、特に藩主代々の崇敬を受けるようになったそうです。 (みやきsanpoより) |
メモ | 道路をまたぐ鳥居がしばしば話題になる神社です。宇佐八幡宮ではなく石清水八幡宮からの分霊です。 |
地図 |