神社名 | 下石動天満宮 |
鎮座地 | 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町石動2347 |
由緒等 |
一、御祭神 菅原道真公 一、勧請年月日 元亀三年(1572)壬申八月廿五日 平安時代の後期、正暦四年(993)に菅原道真公の末孫藤原良宿は、肥前守に任せられて養父郡立石村(現鳥栖市麓区立石)に居を構えその一族は代々立石氏を名乗って東肥前の一帯で覇を競ったが、元亀三年(1572)道真公十四代の末裔立石大蔵之助菅原広玄は、時の豪雄龍造寺隆信と和を結びこれに従属して石動に領知を移し田地八十余町を賜った。 ついで広玄は自らの館の鬼門にあたる丸山の東面、風景絶佳の地に社殿を建立して、道真公自作のものという菅家伝来の彫像を奉祀して天満宮と奉称したがこの下石動天満宮の発祥である。 その後、桃山期に入って、広玄四代の孫立石代右衛門菅原玄連は、白石の藩祖鍋島山城守直弘の家臣となった後も、かつてのゆかりの地、石動村八十町歩を領分したので、荒廃した境内を補修し社殿を新たに再建して、例年八月二十五日には祭典を執行、爾来地域の由緒ある古社として人々の尊崇を集め今日に至ったものである。 (案内板より) |
メモ | 旧東脊振村の薄暗い土地に鎮座する神社ですが、かなりの趣と品格が漂う天満宮です。 清水が流れ鳥の鳴き声が響く苔むした境内は静寂に包まれています。 |
地図 |