神社名 | 新庄八幡神社 |
鎮座地 | 佐賀県佐賀市鍋島町大字森田2028 |
由緒等 |
神社略記 御祭神 應神天皇、仲哀天皇、神功皇后、比賣大神、春日大神その他五十猛命等十七柱を併祀し境内西北には稲荷神社、東南には厳島神社がある。 当社は第八十一代安徳天皇の養和元年(801年前)宇佐八幡宮の分霊を勧請奉祀したもので当時は五社八幡宮とも呼ばれた。文応弘長の頃異賊の襲来に備え再明寺北条時頼公西国を巡視し、当地で不慮の病に罹り重態のとき当社に祈願したところ不思議な御利益を得たのでその霊験に感じて社領を奉納し御家人を置いて後の世まで奉仕されたという。 降って永禄十二年(413年前)豊後の大友軍が当地に侵攻して社殿を全焼し更に翌元亀元年八月十九日大挙して今山に陣を張り佐嘉城を一呑みする勢のとき龍造寺家の武将鍋島信生(鍋島藩祖直茂)は奇襲の策を献じて当社に必勝の祈りを籠め、その釣鐘を陣鐘とし勝軍山勝楽寺の林の竹を旗竿に用いて夜襲し敵の大将大友八郎親秀の首級を挙げる大勝を博した。 龍造寺隆胤(隆信)が、その神恩に感謝し天正元年社殿を再興したのが今の祠であり409年の星霜を経たものである。又、鍋島直茂は文禄・慶長の役で朝鮮に出陣の際も当社に参籠して武運の長久を祈願し、花々しい軍功を立て、慶長三年師走凱旋するや翌年の五月十八日(383年前)社領一町歩余を寄進するとともに自ら盛大な感謝の祭典を行い爾後毎年同じ日に名代を遣わして厳かな神事を行うことを習わしとし、明治三年まで続けられた。 廃藩置県後明治政府は同六年に郷社に列した。(後略) (案内板より) |
メモ | 旧郷社。佐賀市の中でも西部に位置する静かな神社です。 |
地図 |